下げ不足だが 目先的には戻す
目先的には下げ止まったかに見え、反騰もしようが、戻すことでまた下げ不足分を取りに行く。
「黒きまで紫深き葡萄かな 子規」
相場のほうは戻すところで、もう一度千円前後反発しそうだし、反発してもよいところである。
しかし、結果的には、あくまでも戻りであって〔底打ち→出直り〕とはならず〔戻り→大勢下げ途上→戻り売り→再び低落〕となる。
なぜそうなるかと言えば①大天井を打った相場であるからだ②高値飛びつき玉が完全に整理されない③仮りに奇声が緩和されたとしても、やはり規制下にある市場だから、
いびつである④尨大な在庫量と平年作ないし、豊作の新穀出回り期を迎え供給過剰はまぬかれない⑤その供給過剰を買い支え、あるいは買い上げていくだけの仮需要は、今の段階では予想できない⑥しかも実需面は、それほど増大が見込めない。
となれば、値段、価格を下げるしかない。
油絵や金のかたまりや、土地不動産などとは、まったく性格を異にする穀物である。いうなら投機の中の投機である。
物価上昇にもテンポがあるし、上がるものもあれば下がるものもある。すべてを〝インフレだ〟と、同じように見るわけにはいかない。
しかし、下がれば、小豆は小豆なりの妥当な値段で止まるだろう。
どのあたりが妥当な水準であろうか。
一万二千円ともいう。一万三千円ともいう。
需要と供給。仮需要と仮供給によって落ち着くところで妥協が成立する。
今の時点では戻りを売る。なぜなら、大勢的に大底がまだ入っていないからだ。
大きな戻りもあれば、中途半端な戻りもあろう。だが、相場が開き直って、出直っていく段階には、まだきていない。
思えば暑すぎた夏であったし、湧きすぎた相場であった。
昔から高下とも三割以上には向かってよろしいという金言がある。二万円の三割安は一万四千円からである。
だいたい今その値段に来ている。だから、一万四千円以下は買い下がるという方針も成り立つが、一万四千円が絶対の買い場になるかどうかは、残された収穫期までの天候と、市場人気の動向次第である。
目先的には底打ち型に見えるかもしれない。
●編集部註
ご承知の事と思うが、この記事は、昭和四八年八月のものである。
それなのに平成二七年八月の金融市場と、何やら通じるものを感じるのは何故か。何かを暗示しているようにも思える。
【昭和四八年八月二四日小豆一月限大阪一万四四九〇円・二四〇円高/東京一万四六九〇円・三九〇円高】