昭和の風林史(昭和四八年八月三十一日掲載分)

葬送曲は〝足曳〟相場は戻り売り

大きく戻してくれたら判りやすい売り場になる小豆である。残暑の中の売り場待ちというところ。

「鐘のおとに胸ふたぎ 色かへて涙ぐむ過し日のおもひでや げにわれはうらぶれて ここかしこさだめなくとび散らふ落葉かな」

小豆市場は〝三軍散じ尽し旌旗倒る〟という感じである。〝哀怨徘徊愁いて語らず〟―。

荒草何ぞ茫茫たる。白楊もまた蕭蕭たり。帰りなんいざ、田園まさに蕪(ぶ)せんとす、なんぞ帰らざる。

時間をかけて小豆相場は出発点に戻ろうとしている。

少なくとも四月十四日の一万八百円あたり。

四月中旬から始まったあの大相場は、現物面の需給を、まったく横に置き忘れての人気相場であった。

巨大な買い主力を中心にして旗本八万騎が勢揃いしての威風堂々の行進であった。

その行進曲たるやインフレ・マーチ。

人々は、この大行進に酔ったものである。

いま気がつけば規制の強化を招き、品物の売れ行きを止め、そして高値で人気を強くして因果玉を残した。

いま遠征軍は葬送曲の中を粛粛と帰還する。葬送曲は〝足曳〟である。

足曳の山辺とよもすつつの火の、煙のうちにいちじくる、きおえる旗はかしこきや―。
荘重で沈むようなラッパである。

続いて〝吹きなす笛〟が続く。いんいん、めつめつたる陸軍礼式歌は、吹きなす笛のその音も捧ぐる旗のその色も、ものの哀れを知り顔に、きょうはものこそ悲しけれ…。吹きなす笛が終わると〝国の鎮め〟があとに続く。

戦士を弔うラッパは厳粛なものであった。そして空砲があたりに響きわたるのだ。

相場は戻すところに来ているが戻して24日の安値から千円。千五百円。

戻すことによって後がまた悪くなる。

戻りを、出戻りと勘違いする人もあろう。もみあいが長びくと中段の底を大底と見間違えるものだ。そこのところを注意しなければならない。

筆者は、この原稿を書いたら、すぐ新大阪に行って東京に行こうと思う。うまく切符が買えれば夜の九時ごろに着く。しばらく状況しなかったので東京市場の様子を見てくるつもりだ。東京の残暑もなかなか厳しいということだ。

●編集部注 
ンニャロメ!と、この文章を読み当時の小豆買い方は歯軋りしていよう。

文才のある人は、どう書けば相手がむかつくか凄腕の按摩並みにツボを心得ている。その姿仕込み杖を抜く座頭市の如し。

【昭和四八年八月三十日小豆一月限大阪一万五〇〇〇円・三三〇円高/東京一万五〇〇〇円・二五〇円高】