昭和の風林史(昭和四八年九月四日掲載分)

とぼとぼ相場 夜道に日暮れず

夜道に日は暮れぬ。小豆相場は、とぼとぼ安値を低迷するだろう。戻せば売りの相場である。

「秋の宵二階の人に声かけぬ 愛子」

小豆はストップ安ときた。三日新ポなんてけったいなぐあいだ。生糸も毛糸も足場を踏み外して暴落した。

この期におよんでの小豆の放れは、買い方にとって致命傷である。

戻した値幅分の倍落としだと、先限あたり一万三千円を割る。

期近限月も一万二千六、七百円かから八、九百円あたりでダンゴにもんだ分がスカーンと、ほぐれるような下げだから、この相場の行き着くところは、もう近づいているとも思えるが、値はとどいても回復に日数を要しよう。

ともかく一万九千円という高値を熱気に包まれてつけた大相場が、エネルギーを燃焼しつくし、相場本来の姿に戻ってそれまで無視していた在庫を嫌気し、作柄を売り、取り組みの悪さを見直し、そして無理に無理を重ねてきた夏までの疲れがドッと出たようなものである。

すでに買い方主力がどうのこうのという問題ではない。

相場を相場としてみていく相場観でよいのだ。

筆者は、規制が緩和されたら暴落すると見ていた。案の定である。

相場に生命力のある時なら、規制の緩和で、再び運勢を盛り返したであろう。ところが、一万九千円に乗せた時点で、この小豆相場は燃え尽きていた。

しからば、この小豆相場の今後を、どのように予測すればよいのか。

とりあえず、戻した幅の倍落とし。

一月限で一万三千二百円あたり、二月元で一万三千円どころ。そのあたりで止まるだろう。

そこで値ごろ観の買い物や、売り方の利食いなどが出て反発したり、ジグザグしたりするかもしれない。だが作況の状態によってはもう五百円下の一万二千五百円があるかもしれない。

金融は締まり、在庫のみ多く、消費は停滞する傾向が非常に強く表面に出ている。

小豆相場は、まだまだ買い目がないし、日暮れて道通しの感が深い。そして、夜道には日が暮れぬという、とぼとぼした足取りで安値を低迷することであろう。戻せば売りの相場である。

●編集部注
 夜明け前が一番暗い。

 ソ連が崩壊したのはゴルバチョフからエリツィンの頃だが、その頃の東西緊張は急速に高まった印象が皮膚感覚にあった。

 世界金融危機の時も、アジア通貨危機の時も、相場が大底をつける直前に総悲観の下げが来た。

 売り屋が売り買い屋が売ったら底を打つ。

 まだ、買い屋は売っていない。

【昭和四八年九月三日小豆二月限大阪一万三四九〇円/東京一万三四九〇円】