一番底は確認 時間かけて直る
常識的には戻り売りだろうが一番底打ちのあとだけに悪目買いがよい。底練りのぐあいを見たい。
「いちめんの風の芒となりにけり 応人」
昭和46年の増山相場が十月7日二万一千四百円で大天井して崩れに崩れ八千五百円幅を消してしまった。そして47年一月12日、例の東穀市場〝乱手まがい事件〟をきっかけに二月12日まで大きなV字型をえがいて下げ幅のほぼ半値、四千円替えを戻した。
相場は二月12日を頭に再び崩れに入って七千円幅を下げるのであった。
いま、七月13日の大天井から九千円幅を崩しきったこの小豆相場が秋名月の九月11日十五夜に一番底を入れて、身をひるがえすように反発した。
ここで筆者は47年一月12日当時と現在の相場内容を比較してみた。あの時のようにこの相場が、かなり反騰出来るだろうか?と。
当時は仕手崩れ人気で取り組みは鈴なりに売られていた。いまは、売り込まれた取り組みとはいえない。また、あの時は、仕手筋が高値に置きざりにしてきた買い玉を救援すべく強力に援軍を送り陽動作戦を採った。今は、そのような現象は見られない。
在庫事情も46年末輸入物を含めて四市場二十万六千俵と、まったく現在と比較にならぬ、そして46年は収穫六十六万五千俵という不作年であった。
そのころの現在の供給面は隔世の感があるわけだ。
増山相場の敗北の原因は長すぎた戦い、つき過ぎたちょうちん、仕手内部における相場観の食い違いなどであった。
今回の相場崩れは将棋でいえば指し過ぎ。太平洋戦争での日本の陸軍当局みたいなもので豊富な在庫と豊作という物量に破れた。
従って、この相場の反騰力は一時的なものでしかない。即ち下げ過ぎの訂正と相場の自律運動である。
しかし一番底は打ったのだから弱気することは避けるべきであろう。今からのの値段を売るくらいならもっと高値を売ればよかったのだが、一万五千円は売れなくても一万五百円は売りたがるのだから相場とは理屈では説明出来ない。
そこでこれからの事であるが戻り売り人気が支配するのが当然であろう。そうなればこの相場は下げても浅いものになる。常識的には底練りであるが筆者は強気時代来ると見る―。
●編集部注
既に大底はつけた。
ただ、当時の人はそれを知らない。ここで我々が後学のために注視すべき点は、種々の投機家の心の移り変わりである。
【昭和四八年九月十三日小豆二月限大阪一万一二八〇円・一〇〇円高/東京一万一七〇〇円・六九〇円高】