昭和の風林史(昭和四八年九月二十五日掲載分)

斬って捨てい 中途半端な戻し

連休明けの相場は崩れるものである。小豆は斬って捨てるところ。手亡も買いつくと駄目だ。

「教会の内側灯り萩すすき 清子」

小豆二百万㌦の発券で約七万俵が上乗せになる。数字の上から考えると、これでは高値など期待するほうが無理だ。

しかし倉庫事情や輸送コスト、生産者の採算など、安くはならないという要因もあって、供給数字即(そく)売り材料とならないところに相場の妙味があるわけだ。

まして取り組み関係や先見性による来年の作付け面積と冷夏予想などを思えば、この相場を強気するには、それだけの裏付けが出来るのである。

しかし目先的に相場の地合いから予感することは先限で千円幅ぐらい斬れるようにも思える。

このはな、ふらふらと高いようなら抜く手も見せず袈裟に斬れば、手応え充分、千円幅は音をたててどうと倒れる相場だ。

強気が多い事が気になるのと、大豊作をまだ本当に織り込んではいない。一番底は確かに見たが駄目底が出来ていない。

筆者はもちろん小豆相場を弱気するものではない。

千円幅は下げるだろうというのは目先的に―である。そしてそれは、あくまで大底練りの段階における鍛錬である。

崩れて先限で一万四、五百円のものである。

大相場の底入れは凄惨であると同時に陰惨なものである。崩れにおける凄惨さはすでに経験したが、まだ陰惨なものがこの相場に感じられないため、今後それがあるだろうと思う。

火曜日も強張れば売りの急所になるだろう。週末は降霜を予想して買われたが恐らく火曜日は叩き売られる。仮に霜の害が出て相場が急騰したとしてもそれを売るのは怖くないし、その日のうちにS安幅の利食いが出来るかもしれない。

筆者は急に弱くなったのではない。下値固め不足と日柄不足のまま買われ過ぎたから斬って、斬り甲斐のある相場と見ただけだ。

手亡はどうか。手亡相場は一万二千二百円中心のかたまり圏内から脱皮せぬことには相場にならない。

大勢的需給事情は五十万俵不足とも七十万俵不足とも言われる。手亡の基調は強大な支えがあるわけで、要は人気がつくか、つかないかである。人気は高くなれば集まるものだ。

●編集部注
 古今東西、爆買いとバカ買い出来る人間は強い。

【昭和四八年九月二二日小豆二月限大阪一万一四九〇円・二〇〇円高/東京一万一五九〇円・二六〇円高】