昭和の風林史(昭和四八年十月十六日掲載分)

発作高は売り 夢を追う買い方

投機家は常に夢を見る瞳である。巨大な供給量もバラ色の虹に包んでしまう。現実逃避の白昼夢だ。

「田に落ちて田を落ち行くや秋の水 蕪村」

もうひとつ決め手になるものがない。

ジリ貧型の相場で肩下がりになっているが思い直したように買い上げたりする。

総じて誰もが強気である。なんとなく弱気しにくいところらしい。

気がつくと十月も半分を過ぎている。第一、第三週の週休二日制になってから特に日の過ぎるのが早くなった。光陰はまさしく矢の如く飛んでいく。青年老いやすく相場思うにまかせず。

見ていると小豆相場は暴落型である。

買い方の反撃で仮りに急反騰しても、なんら怖くない格好である。

ジリ貧下の抵抗―とでも言うべきか。買い方は〝組織的な〟反撃が出来ないのだ。

閑な商い。どこかが少しまとまって買う。売りハナになる。ワラワラと買い物が出てくる。二、三百円高となる。すかさず超目先筋の小幅利食いが出る。

クロウトによるクロウトのチャリンコ相場である。掏模(すり)の名人が集まって百円、二百円幅を掠(かす)める全国大会みたいなものだ。男子たるもの近寄る場所ではない。

強気はいう。千円ぐらい仮りに下げようと、買い下がればモノになる―と。

売り方も言う。千円が千五百円戻そうと、行き着く先は見えているから売り上がればよい―と。

大勢はどうなのだろう。大趨勢は買いだろうが、常識的大勢は戻り売りである。従ってこのところの相場は逆張りになる。

掏模(すり)の名人ばかりが集まって、腕を競えばどうなるか想像してみるとよい。得るものは無いだろう。取ったと思った尻から取られていて、それが狭い千円幅という限られた電車の一車両の中でやっていたら阿呆らしくなってしまう。

収穫した百九十三万俵の産地総供給量。これを十円でも高く誰に売りつけるか。

それはバラ色の虹に包んで、投機家という夢を追う人達に持たせるしかない。六十万俵のタナ上げという〝まやかし〟で騙(だま)せばいとも単純よ。

来年が豊作だったらどうする。そんな事あり得ない―と胸を張るだろうが、来年が凶作と決めてしまうのも狐に騙されているようなものだ。

●編集部注
 ここではつい中東戦争絡みの話をしてしまう。

 来月上梓される若林栄四氏の『世界経済の破断界』(ビジネス社)の中でもこの頃の原油相場が登場。この戦争は現在に繋がる重要な分岐点なのだ。

【昭和四八年十月十五日小豆三月限大阪一万三二七〇円・三一〇円高/東京一万三〇八〇円・二八〇円高】