12月17日付 メリマンコラム 《回顧と展望》 その1 

先週、世界の株式市場では「財政の崖」へと登り詰める行進が続いた。

これについては多くのアナリスト達がいぶかしげに、1)待ち受けているのは崖でも何でもなく、単なる斜面に過ぎないのか? または2)議員達と大統領は、もしかすると負債削減への真剣な合意寸前まで来ていて、後は単に部分的な問題に対処する必要があるだけなのかもしれない? …などと考えていた。

現在、二つの物事がその危機に向かうスピードを競い合っている。それは米国に暮らす殆どの人々にとっての財政的な安全と、大統領バラク・オバマが後世に遺す名声だ。

もし、1月1日の直面に向けてこの国に迫っているのが単なる斜面ではなく、本当の崖であるなら、多くの人々が傷付くことになるだろう。

もし彼らが痛い目に遭えば、それはすぐさま怒りへと発展し、そこには新たな要求が生まれていく。そこに怒りと要求が存在する時、手詰まり状態は改善することなく、益々厳しいものになる。

こうして政府は麻痺状態に陥っていく。闘争と相手側への非難の応酬が激化する一方で、何も手立ては講じられず、経済の地盤は沈下していくのだ。

オバマの2期目は希望から転じて、より大きな怒りと落胆に変化し、経済的絶望感に覆われた時期の大統領として、彼の歴史的名声には「失敗」の烙印が押されることになるかもしれない。

いや、もちろんアメリカ連邦議会もまた同様に「失敗」の烙印を押されるのだが、歴史は議会のことなど記憶には留めない。人々はその時に誰が大統領だったかを記憶する。政治コメンテーター達が『今はオバマにとって、大統領としての分水嶺だ』と口にする時、それは彼がこの困難な状況を抜け出すための合意交渉に成功するか失敗するか、どちらかの可能性を指しているのだ。