セセーションの鮮度

 立春まで、あと十日もない。睦月が去ろうとしている。如月は逃げる。私は、この寒さから逃げたい。

 春近し退くこともまたよしとせむ   弘子。

 あっという間の一月であった。ニュースもあっという間に過ぎていく。情報の伝達が早くなったおかげで、何やら忘れるのも早くなった。
 
 あれほど騒がれていたギリシャ危機と、欧州経済をめぐる懸念。

 一時はユーロ崩壊だと騒がれていたが、最近ではトンと聞かない。

 ギリシャの話など、もう、忘れ去られた過去の話である。

 こうして人は、嫌なことをすぐに忘れる。そして、また同じことが繰り返される。

 人間は、歴史から何も学ばない。
 
 伝える側とて、商売である。正力松太郎は「新聞の生命はグロチックとエロテスクとセセーションだ」と嘯いた。
 
 煽って売ってナンボの世界。イエロー・ジャーナリズムという

 いまの話題は、安部バブルか。世界中の株が上がり始め、NYダウは史上最高値目前。

 そして、週刊誌は神輿を揺らす。今買わずして、何時買うのかと。

 そんな相場は、株や商品が上げ賛成機運。

 金だけは、どうも取り残されているようだ。

 金は、天下騒乱のなか、先行きが判らず、不透明な時代にこそ輝くもの。危機が去れば売られよう。

 1,650㌦を割れば1,600㌦割れか。

 1,700㌦を超えてくれば、また新たな危機の種がまかれよう。

 それまでダンマリを決め込むのも手の内。『情に棹差せば流される』という言葉を、独りつぶやいてみる。