変わり目なき時代で

睦月も今日でお仕舞い。今年も残すところ、あと十一カ月。なあに十一カ月などすぐ過ぎていきます。

海暮れて鴨の声ほのかに白し  芭蕉。

鴨は、秋から冬にかけて飛来し、春になると帰っていく鳥である。

鴨鍋、鴨南蛮、金沢にいくと治部煮というものもある。冬のご馳走といえば鴨だろう。

最近ではスーパーでも鴨が置いてあるが、あれは合鴨。油の多さに閉口する。やはり、真鴨の方が良い。

出会いの松茸、別れの鱧。昔は食卓に並ぶ食べ物に季節を感じた。流通が発達した現在、四季折々など死語である。

節目、変わり目、端境期。相場にも変わり目があった。取引さえも、大半がザラバになった。

板寄せの現場など、見た事もなかろう。延々、相場のやり通しである。

ドルが高い。故に東京金は下がらん。

円安も止まらず。

これは安倍さんの政策によるものではなく、大き流れが円安へと動き出したからに他ならない。

こういった相場は政策がどうのこうの、政治家やアメリカさんがなんか言おうが関係ない。

底を打った相場は上がるしかない。

固定相場制が崩れて以来、かれこれ四十年以上、いってみれば円高の時代であった。

四十年下げた相場は、その半分の二十年は円安になっても、さしておかしくはないだろう。

経済理論や、物価がどのこうのといっても相場は相場。学者は理路整然と曲がるという。

相場は材料2割、残りは人気。

人気は、宇宙の法則で左右される。

宇宙の真理は、作用、反作用の周期。