大衆は常に間違っている

行く睦月、逃げる如月、去る弥生。その睦月も既に三分の二過ぎ。齢を重ねると一日過ぎるのが早い。

戸に犬の寝がへる音や冬籠 蕪村。

寒さに弱いので、休み中は一歩も外に出ない。

我が家に犬の一匹もいれば、乙な俳句のひとつでも捻り出せようが、そんなものはいない。

都心では先週の雪がようやく溶け終わったというが、この寒さでのたりのたりとも行かぬ。

思えば、のたりの句も蕪村であった。

相場も、のたりのたりと行きたいところ。

辛抱、辛抱。待てば海路の日よりあり、となるか、ならぬか。

円安の影響で国内商品はみんな高かった。そろそろ、目先の円安もピークアウトする頃。

円高で、国内商品は何もかも下げよう。

ゴムは三尊天井、300円を割るときつい下げが来る。

東京金も、5,000円手前まで良く上げたもの。お疲れ様でした。

3,000円をつけたとき、当時茅場町にあ った田中貴金属本店には換金売りの大行列ができた。

先物会社にも、換金希望のお客様が来た。

5,000円をつけると、あのときのような換金売りが出てこよう。これは大衆が間違っているのか?或いは正解か?

大衆は、常に間違うというのが相場世界の決まり文句である。

だとすれば、この金相場は押したところを買うというのが正解、ということになる。

長い目で見れば、円安は始まったところ。

相場は目先の行き過ぎを調整したあと、狂乱物価時代並の商品高が到来するだろう。

ただ、それは、まだまだ先のことである。