昭和の風林史(昭和五七年二月十九日掲載分)

急所の反撃だが戻り売り

買い方の反撃である程度反発するが、買っただけ悪くなりはしないか。六千円は傘だ。

17日は東京金取引所の第一次会員36社が決定して、まだあと第二次、第三次発表はあるものの名前が落ちていたところは電撃的ショックだった。

金現物売買の実績が最低25㎏あたりに線引きしての足切りだ―といわれ、大金会や名金会のペーパー取引は実績にならない。

第一次メンバーを見て大阪は完全に情報不足の感を強くした。あわてて田中貴金属の現物を買ってきたり、超大物政治家にはたらきかけたり、なんとしても、会員加入の第一関門をパスしないことには社員に対しても経営者の責任を問われる。

その点、東京は、政治の中心だけに、かなり適切な手が打たれてきたようだが、主流派から遠いところは第二次、三次も危ういという情報が流れ、これから最後の追い込みがかかる。

会員決定でこの騒ぎだから取引員決定前後には、かなりの騒ぎが予測され時には国会問題に発展するかもしれない様相を呈した。

さて、小豆相場のほうは急所と見ての買い方巻き返しがきつかった。

値頃的にも五千円割れは引かされて三、五百円という安心感がある。

当限納会は高いという予測が支配しているから敢えて売らない。否、売り玉の手仕舞いのほうが急がれる。

折りから中国小豆の商談が進みだした。量的に外貨枠の関係もあって相場圧迫の材料にはなるまいという空気である。

しかし、再度買い上げて六千円抜けという場面は罫線面には理想の三段上げコースに入るわけだが、行政主導期だけに、あるいは自由化問題未解決だけに、次期枠ゆとりのある通常発巻という材料を呼び出すことにもなる。

買い方のパワーで戻しても、これが垂れてくると下げ方が今度こそきつくなるだろう。

●編集部註
 逆説的というか、皮肉というべきか、あの豊田商事があれほど社会問題に発展していなかったら、金上場は実現しなかったか、実現したとしても上場が遅くなっていたように思っているのは筆者だけであろうか。
 それにしても、よくぞ今現在までこの銘柄が取引商品として生き残ったと思っている。これまで官民共に、余程優秀な人達がこの相場の運営に携わっっていたのだと思う。お店が長く続くにはお客様だけの力だけではどうにもならないものがある。
 話は変わるが、食材とお客様に愛と情熱のない人達が、目先の金に目が眩み、打算と小銭稼ぎで始めたような呑み喰い処はすぐわかる。
 物珍しさで開店当初は満員御礼となるが、そのうちに閑古鳥が泣き、いつの間にか閉店している。