昭和の風林史(昭和五七年六月二五日掲載分)

受けて悪し、受けずば悪し

歩のない勝負だが引くに退けん買い方の頑張りには驚嘆する。詮ない突っ張りだ。

小豆は相場だけ見ていると醒めているが、売り方のトークが熱しているようだ。勝負ごとは、なにがなんでも勝たねばならん。買い方も防戦あいつとめ、目に見えぬ殺気ただよう中で本日納会。

真相は判らぬが『富士銀行に入っていた東京重機と旭有機株を14、16日、野村証券で換金して五十億円の資金ができた』から受け代金に心配ない―と、この業界の情報は、まるで人のポケットの中を見透すようなことをいう。

『本田さんは(板崎氏から)要請があれば十億円ぐらいまで、めんどうみてもよい』と考えていました―と。『ああそれで七、八、九の三本を買っていたのですか』。

思うのだが、いまの相場は、いちいち情報に神経をとがらせていたら、相場の本当の姿を見失う。相場の奥義は〝見ざる、聞かざる、言わざる〟。どんな相場でも常識に戻る。常識とは需要供給である。そして日柄だ。〝人を見て相場を張るな〟という言葉もある。誰が売っているから買うとか、誰が買っているから売るとかはよくない。相場だけ見る。なにごとにも毀誉褒貶(きよほうへん)はある。そのことが判っておれば付和雷同もしない。必らず相場の先行きが見えてくる。

その相場の先行きは納会受けて悪し、受けざれば更に悪し。買い方は決して楽な戦いを進めているわけでない。無理を承知の意地がある。また、誰だって損するのは嫌だ。

結局これは天が勝敗を決することになる。

畑振を衝いて予備枠を出せとか、政治家を動かしてどうするとか、これは感心せん。『きたない手使いやがって』と買い方は立腹するのが当然だ。しかし、相場の敵は怒るな、喜ぶな、絶望するな―である。

これは売り方にもいえる。待てばよいのである。待てないのは、建玉に無理があるからだ。崩れるしかないのだから焦るなかれ。

●編集部註
 先般紹介した鍋島高明氏の最新刊「相場名人/信条と生き方」(パンローリング)の中で、今回の記述で登場する人物の一人が小豆相場に翻弄される場面が登場する。
 平成の御代から、過去の文章と罫線を見ているだけでは伝わらぬ、人と市場のダイナミズムがこの本からは感じられる。
 合従連衡、臥薪嘗胆―。しばしば風林火山が記事の中で漢籍を引き合いに出す理由が何となく判る。
 反知性主義と不寛容が跳梁跋扈する現在、この記事しかり、この本しかり、鉄火場の中での知性と教養は、緩衝材と同時に爆弾である事を識る。