昭和の風林史(昭和五七年六月二十七日掲載分)

異常市場にようやく騒然

穀取にはルールがないのか。買い占めを黙認するのか―と異常市場にようやく騒然。

小豆当限納会の値段のほうは、まずまずだったが、大量渡し物を受け切った資金力は、たいしたものだ。

この受けた現物に金利と倉敷の時計が動きだす。目にみえないこれが大きい。

樽の酒は、上から汲んで飲むぶんは、盗み酒でも怖くないという。それは減りかたが目にみえるからだ。ところが樽の底から一滴一滴漏れるのは怖い。誰も気のつかないうちにカラになってしまうからだ。

(1)逆ザヤで(2)大量受けした買い占めは今後の市場管理の課題になろう。

買い方は名義も証拠金納入も実に細心の気くばりで合法化されているそうだ。

だったら取引所は、なにもできないのか?と声が高まるが、それと相場の強弱を結びつけるのはポジション・トークで説得力がない。

売り屋だって種々さまざまなデマ情報を流して叩きよる―と買い屋も立腹していた。ここは強弱関係ない公正な立場から市場のあるべき姿を判断しなければならない。

それはそれとして相場そのものは、中段のモミが中段の底にならず、底抜けの様相を濃くしている。

要するに流れに逆らっている買い方で、資力があればあるほど損が大きくなる。

輸入枠の拡大という時代に向かうことは一種の価格革命である。この場合、二万円台の小豆時代到来の価格革命といえよう。

他の雑豆の凋落の中にあって小豆のみ野中の一本杉であるはずがない。

供給潤沢のものを買い占めて勝算のありようがない。ただ、ゆきがかり上退くに退けんという窮地に追い詰められ必死にあがいているのが今の買い屋だ。

さて歴然たる買い占め(実需受け三市場で微々)に穀取代行が融資するのは問題だという声もある。ようやく騒然としてきた。

●編集部註
 古今東西、世に〝フェイクニュース〟の種は尽きまじ、と言ったところであろうか。
 世界史に残っているものであればエムス電報事件というのがある。相場であれば、その前にナポレオン戦争でのロスチャイルドの所業もそうだ。
 〝嘘も百回言えば本当になる〟と言ったのは誰であったか。誤魔化し、はぐらかし、その場を乗り切ってしまえばこっちのものといった風潮が、歴史の所々で出て来る。最初はそれでいいかも知れないが、大概、ボロが出ると瓦解が待っている。
 この時の小豆相場も瓦解が間近に迫っている。