昭和の風林史(昭和五七年十二月十日掲載分)

玉整理済めば輸大急反騰

白昼の虐殺場面だが玉整理が進めばこの輸入大豆は手の平を返したように買われる。

横神両生糸取引所の今回の取引員処分は釈然としないものを残した。

役所側は国会対策として穀取関係、砂糖取関係すべて申し開きができるよう、火のついたようにせきたてた。取引所の自主性よりも行政側の手落ちを糊塗するためのものである。

流れとしてはT社関係玉の総排除機運で、もとよりこれは役所→取引所の圧力である。

これによってT社の輸入大豆買い玉がどうなるのか。10月末→11月上旬の高値水準で買っただけに追証に攻められ一部これを投げていたようだが、取引員の自己玉がT社買いに向かっている分も多く、T社の投げ即ち自己玉の利食いという格好になり出来高が弾んだ。

T社買い玉は全部清算されるのか、それとも残せるものは残しておくのか。

新規受託のドアは固く閉ざされ建玉のオペレーションは不可能になる。

要するに受けるだけ受け、取り組むだけ取り組ませておいて手足をしばり、棍棒で殴りつけるようなものだ。

商取業界における白昼の虐殺とでもいおうか。

ところで相場のほうだが、一巡玉整理(買い玉投げさせる)が済み、誰も彼も人気が弱く売り込んでしまうと、手の平を返したような様変わりの場面を迎えるだろう。

この相場は大相場の土台づくりのようなものと思う。

値頃観でいうわけではないが、四月10日五千十円高値(東京先限)から千二百二十円下げ。先限としては53年12月25日三千六百円以来の安値である。

このような相場を売ってなんとするのだろうか。

T社問題の片がつけば、大反騰に転ずると思う。

小豆相場は強気したままでよい。7日に立てた強力陽線が支配している。

いまここはグズグズ弱気がふえたほうがよい。

●編集部註
 浅田次郎は小説家であると同時に、競馬に関するエッセイが面白い事で知られている。そこで繰り広げられる勝負論は、競馬だけでなく全ての勝負事に通じる。無論、商品相場にも応用が利く。
 浅田は自分が勝負師として〝燻っている〟か否かに敏感になるという。自分が燻っていた場合、何をやっても絶対に勝てないとまで言い切る。また周囲に燻っている人間がいないかどうかにも気を配る。得てして燻りは感染するのだとか。燻った人間に近付かないのも勝負のうちだという。
 ここで登場するT社の玉は、言ってみれば燻りの集合体と言えるだろう。 なまじポジションが大きく、提灯もついていたと思われ、本尊の燻りが二次感染、三次感染したのだとも言えよう。