昭和の風林史(昭和五七年十月七日掲載分)

小豆は買える段階でない

小豆はまだ底が入っていない。輸大売り。生糸も売り。相場は時間調整の待ちの姿。

二日ほど豊橋取引所のご案内で秋たけなわの東三河地方蚕糸業視察ご同行14人に加わった。詳しくは、あらためて書くつもり。

そんなことで相場から離れていたが小豆は閑。輸大期近の波乱。生糸堅調。

円のみ、だだ下がり。

小豆はこのあたりどうなんだろう。

常識的には、このあたりもう底値だろう―となる。

そして二万八千円は割らんだろう―と。

人気に決め手がないから、強弱も定まらない。

線型や日柄などからいえば、下値を残している。

二万八千円を割って、投げさす場面があると思う。

人気が、まっ黒になるという極度の弱気になる場所が、この先どこかでなければ、年間の大底というものはできない。

ということは、値頃観による強気が、まだ残るあいだは、立ち直れない。

だからといってこの小豆を売る気もなければ、買う気もない。

要するに強弱なしである。強弱はないけれど、秋底はまだ入っていないと思うし、二万八千円は割るとみる。

輸入大豆は円安という基盤の上の期近品薄という相場で、先のほうの限月は上にも行けず、下げもならずだ。

これで円が底入れして急反騰に転ずれば、輸大に下げ足がつく。円は陰の極にきている。

当限については戻り三番天井を取る格好で、納会までには時間もあるし、いまから強行突破は息切れしよう。二番限の戻り売りが判りやすいように思う。

生糸、乾繭は無風だが、金屋が売ってくれば、買うという手口。

金屋売りに対する反感というものが市場を支配しているようだ。

相場としての生糸は、くたびれている。

●編集部註
 小学館から出ている「戦後史年表」を読むと、この日行われた全国農協大会で、農産物輸入自由化拡大阻止特別決議が採択されたとある。
 昔は農協の力が強かった。筒井康隆の小説「農協月に行く」に代表されるように、どちらかというと粗野で無知蒙昧。醜悪な成金のイメージで描かれるケースが多かったように記憶している。
 一時期、ニュースになった爆買い中国人あまり変わらないイメージだ。
 バブルの時、日本人も5番街に殺到した。それを考えると、日本は没落したのだと再認識する。