相場が相場を壊す段階へ
小豆は理外の理という場面が出てくる頃で、相場が相場を壊す時が接近している。
値動きが荒くなると自然手口も大きくなる。安心売りされていた小豆先のほうの限月が、サヤ修正の煎れ場面。
大衆筋は期近売りの期先買いというポジション。
玄人筋は期近買いの期先売りの姿勢。
二月も三月も小豆の輸入見通しが立たないという。少ない在庫が更に減少し、輸入が途切れ、春の需要期に入ってモノが売れていったら、これは大変な相場に発展する―というのが市場の常識。
相場は難かしく考えないで素直に見るのがよい。
それなら逆ザヤ売るべからず、買いしかないじゃないか。なぜそれに気がつかなかったか―と、遅ればせに買いに回っても十分間に合ったのである。
それはそれでご正解である。
しかし売って毎日が追証の苦界に呻吟している側もある。
これらの人は相場が相場を壊す時が必らずくると信じている。これは、ファンダメンタルで相場は、あるところまでは行くが、それを過ぎるとテクニカルの面が急に前面に押し出てくる。
その一ツは人気である。総強気―安心買い。総煎れという熱狂。これは出来高に出てくる。19日の東西合計一万一千百枚は一ツのシグナルである。
その二は値幅。当限一代足は九月21日安値から六千五百円を上げた。12月6日の安値からでも四千五百円の節足新値14手の棒立ち。三万円の二割高である。
その三は日柄。九月底から三月またがり60日というが日足87本を食っている。
確かに在庫や輸入見通しなどの面から小豆のファンダメンタルズは買いであるが、相場の相場たる所以は理外の理。陽の陽は陰に転ずるということで理屈ではない面があるから面白いし、また難かしい。
●編集部註
本日も曲がりやの『長恨歌』が繰り広げられている。後にこの記述は愛しの追証を前にして段々と『四面楚歌』の様になって来る「虞や虞や、若を如何せん」の「虞」を「追証」
に変えるとわかりやすい。
それにしても「苦界」という表現は、当節文学の素養がないと中々にピンと来ない語句になってしまったように思える。
「苦海」であれば石牟礼道子の「苦海浄土」というノンフィクションが存在し、題材となった水俣病については近々ジョニー・デップ主演の映画が公開されるので解り易いが、「苦界」となると藤本義一の「上方苦界草子」や隆慶一郎の「かくれさと苦界行」の世界がその代表格となる。
こういう時にネットは便利だ。どんな世界かはお調べ戴くと分かる。