昭和の風林史(昭和五九年一月二十六日掲載分)

売り方は終戦処理の段階

需給が緩む兆候が出るまでは買い方勢力の制空権下に置かれたままの小豆相場。

勝敗は最後の五分間にありという。この五分という時間が辛抱の限界であり流れを変える分岐点になる。

小豆でいえば23日が売り方にとっての断末魔であった。

この一月23日、私ごとながら誕生日で田山KKの会長山本博康先生から麦酒60本のお祝いを今年も戴いた。

市場は満目荒涼売り方声なく雪白し。

踏んだ人は、しばらく戦線を離脱して兵馬倥偬(こうそお)の疲労を癒し、終戦処理をする。

連勝の買い方も一息入れて次なる戦いの構想を組み立てるわけだが、(1)当先の逆ザヤが三千円ほどにちぢまるまで流れは不変。(2)先限の三万三千円あたりが目途。(3)日柄で二月末から三月上旬あたり。(4)以上の現象が出るまでは基調は上昇相場。下げは押し目と見るべきで(5)臨時枠が三月時分までに出なければ更に違った性格の相場となるだろう。(6)不思議な事に帯広地方は雪が少ない。この夏もなにか異常がありそう。

昨年は一月底→四月天井→五月底→八月天井のパターンだった。今年は12月底→三月天井になるのでなかろうか―と。

目先は下げ場面に入るところのようだ。

これを押し目と見るのがファンダメンタリストであり、テクニカル派でもある。

ということは敗残の売り方以外はオール強気というバランスになった。

敢えて強弱でもないが、輸入がスムーズに進展しなければ確かに下げは押し目という相場が続こう。

臨時枠が組まれるのかどうか。納会に大納言新穀が渡ってくるかどうか。取り組みが増大するかどうか。

そして新しい買い仕手的存在が出現するかどうか。

相場は「もうはまだなり」だし「まだはもうなり」で相場に聞いてみる以外にない。

●編集部註
 今回の文章で登場する山本博康氏は、先物業界の中核団体である全国商品取引員協会連合会(全協連)の初代会長。日本の商品先物取引史の生き字引である鍋島高明氏の著書「侠気の相場師 マムシの本忠」(パン・ローリング)によると「関西のドン」であるという。明治29年生まれで商品取引員の中で最初に叙勲された人物として知られる。
 山本氏が社長を務めた商品会社、田山はもう存在していない。1991年に小林洋行と合併する。
 個人的な記憶として、小林洋行と言えば「野球」のイメージがある。昔、プロ野球マスターズリーグというのがあって、江夏が監督、村田兆治が投手として在籍した東京ドリームスのスポンサーがこの小林洋行であった。