昭和の風林史(昭和五九年三月二八日掲載分)

月にむら雲、花に風の小豆

小豆相場の特色の一ツに、春は崩れからーというのがある。花は吉野に嵐吹くー。

小豆という相場は、在庫がたまりだすとシビレてくる。

また、売り玉の踏みが出尽くしてしまうと躯(むくろ)みたいに魂(たましい)が抜けてしまう。

小豆に限らず、なんの相場でもいえることだが、小豆のそれは極端である。

この場面における買い方は“六本木”の春相場の時もそうだし、もっと前の“本忠相場”の春時分も同じだったが、自分の座っている座蒲団を、なんとかして持ち上げようと頑張る。

長年の経験として桜の咲く頃の小豆は祇園精舎の鐘である。諸行無常だ。

万朶(だ)の桜が襟の色。花は吉野に嵐吹く―散兵戦の花と散るのである。

花はまだ遅れているが、花は散る散る相場は下がる。安い相場に追証が迫る。という図になる。

小豆は、秋底→春天井→青田底というのも一ツのパターンであった。

夏の天候は、例年梅雨期を嫌気して“六月崩し”で売り込んだあとから相場の材料として響いてくる。

目下のところ相場は疲れきっている。だから、それ相当の買い玉整理を必要とする。

取り組みにボリウムがないこと、安値売り玉は踏み終わったあとの相場だから、サイクし、モロイのである。

来たるべくしてきた崩れと見るのは日柄を読めば判るし、新値なん本かを数えれば、当然の成り行きとなろう。

取り組みは微増傾向“相場下げながら取り組み増加するは、更に下げ続けるものなり”という。

小豆市場としては、下げるだけ下げて、逆ザヤも修正し、なにもかも大掃除して30㎏建の新展開を待つほうが望ましいかもしれない。そうなればまた、腐っても小豆相場ということになろう。

●編集部註

 昭和も遠くなりにけり―と感じる文章である。

 令和の御代に〝六本木〟や〝本忠相場〟と聞いて、ピンとくる御仁はもう残り少なくなっているのではないか。

 前者はある有力な仕手を指す符丁、後者は有力な商品取引員を束ねるグループの総帥の名がその由来になっている。当欄では、しばしば鍋島高明氏の著書「マムシの本忠」(パンローリング)を紹介しているので、後者についてはご存知の方も多いのではないか。

 先般、この本忠さんのグループの中でも、金の取り扱いで人口に膾炙した会社が、ある証券会社に事業譲渡するという報道が日経新聞に載った。

 いろいろあって、7月に主力商品が大証に市場移管されても売買の継続する目途が立っていないのだとか…。いやはや、なんとも遣る瀬無い。

令和2年6月3日記