新規の出ないさむさかな
俳句の季語に「冬ざれ」というのがある。昨今の商取業界のようなものと思えばよい。
二月は衣料品などバーゲンのシーズンで五割引、六割引きになる。
だから二月は“お買い物シーズン”というそうだ。
寒さが厳しかったから人出がすくない。商店街やスーパーは、値引きをしても人がきてくれなければ話にならない。
輸入大豆相場も半値にはならないがバーゲンセールだった。
追証を積んで頑張っていた買い方は、あらかたふるい落とされて前週末の東西出来高合計五万枚を越えた。
市場の人気のほうは、シカゴ六㌦80あたりを見ているようだ。
去年の夏の熱波騒ぎの九㌦台で人々は10㌦必至、否11㌦だ、13㌦もあると、上ばかり見ていて足元をすくわれ動転した。
今、人々は下ばかり見ている。確かに相場は止まったようで止まらない―なだれ現象だが投げも投げたり、玉整理も終わりにきている。
市場が落ち着けば玉整理の終わった相場は底固めに入るのが順番である。
小豆は建玉ある人は別だが飽きがきているふうで関心の圏外にある。
明けても暮れてもワンパターンだから判りやすいといえば判りやすいが、新鮮味がなければ人は寄らない。
商取業界全般の投機資金が冬の川のように枯れてしまった。
新しい投機資金が流入するような魅力ある商品が今のところ見当たらない。
そして昨年勝利してきた大衆筋は、ほとんど戦場に影をとどめない
商品相場は消耗戦である。栄枯盛衰の激しい社会だから、生き残った者だけが戦いを続け、その戦いが面白そうになってくれば、また新しい投機資金が流れ込んでくる。
目下のところ春とはいえど冬ざれで、これはどうにも耐えるしかない。
●編集部註
昔は、テレビを見ると可愛い小熊のぬいぐるみがぴょこぴょこ動き、BGMでは子供の声で「おっかいもの、おっかいもの…」という歌が繰り返されるCMが流れていた。今はどうなのだろう。
そう言えば、この頃のテレビCMで「いかにも一般大衆が喜びそうな」というフレーズが流行語になっている。思えば、この頃の〝一般大衆〟は今と比べて、CMを見て商品に飛びつく余裕のあるお金を持っていたような気がする。
いや、確実に金を持っていない。2020年にバブル前の1980年に書かれた田中康夫の小説「なんとなく、クリスタル」を読むとよく分かる。
春はあけぼのだが、今の日本は差し詰め「沈黙の春」であろう。金をつぎ込んでCMを打っても金がなければ買えるものも買えない。