焦らず小豆七、八限拾う時
小豆は七限、八限の押したところをゆっくりと拾う。あせることはないのだ。
小豆は摑みどころがないようだ。
中国小豆の成約状況を眺め、同時に取引所の市場管理の方向を見定め、安くはない値段といわれる北海道の新穀(10 11 12月限)を考え、さてどうしたものか。
商いは薄い。わずかな玉の出具合いで高下する。
時期的に小豆のいまは天候を材料にするには早い。それと買い方が、いわゆる群雄割拠の焦点絞りにくい段階である。
積極的に買えば値は飛ぶところであるが、人為的に今高値を出してもメリットはない。
戦術的にも戦略的にも機の熟すのを待つところ。
神戸筋は巷間伝える話では四月限を受けて五、六月限に受けた現物をぶつけるみたいだと噂されているが、変幻自在の同筋が、どうしたわけか動きが固定し、捕まったのでないか?とか、狙われてしまったなどと、派手な存在だっただけに閑な市場の話題になるわけだ。
もう一ツの流れとしては昨年五月限小豆に焦点を絞って、それが不発になり、皮肉にも五月納会終わったとたん、六月→七月大奔騰して、狙う限月を間違えたといわれたものだが、同じ顔ぶれながら今月納会受けてくれ、いや受けたくないなど意見がちぐはぐ。
ともかく相場は共同してやれば、必らず裏切った、裏切らんの、もつれになるのは人それぞれ懐も違えば考えも違う。
そのような流れを遠くから眺め、待つは仁と構えているのがスマートというもの。ゴールデン・ウィークが終わらんことには戦機も熟さず、もの足りない動きにジレて売り込もうものなら、ゴキブリホイホイに捕らわれた姿となろう。
だから七限か八限に自分なりのストーリーで押したところを買って待つ。今はそれでよいところ。
●編集部註
相場は共同してやれば、必らず裏切った、裏切らんの、もつれになるのは人それぞれ懐も違えば考えも違う―。
この言葉が普段よりもどすんと心に響いたのは、先週発売の文芸春秋七月号を読んだからだろう。
ノンフィクション作家、清武英利による「後列のひと」という8ページの連載。今回登場する人物は、ここでもたびたび登場する相場師、長谷川陽三なのだ。彼は節税のため、そして〝相場をやめる〟ためにシンガポールに移住していた。
冒頭で彼が語るのは、相場師の末路である。
出たばかりなので内容には触れないが清武英利と聞いて野球好きはピンと来たのではないだろうか。そう、所謂「清武の乱」でナベツネに反旗を翻し、巨人を追われた、あの元球団代表その人である。
令和2年6月30日記