昭和の風林史(昭和五八年三月四日掲載分)

大底圏を鳴動して脱出中

底が入った相場を叩き過ぎたから相場が怒ってS高になる。輸大市場鳴動中。

輸大がストップ高。大取り組みが弾けた。

首をかしげる人も多い。そんな馬鹿な―と。

中豆、中豆で頭の芯まで弱気がしみ込んだ人にとって、シカゴ反発もさることながら、わけが判らんようだ。

この相場は大底が入っているという事。

例えば大阪三月限三千四百円1月10日、27日と両足つけてWボトム。

東京当限引き継ぎ足でも三千三百20円と三千三百90円で肩上がりの大底。

土台三千三、四百円の上場以来の安値圏を叩くのが間違いである。

去年から玉の回転が利かなかった買い屋は、酸素吹き込みで、いま颯爽と蘇った。

東穀10万、名阪八万六千の大取り組みが地鳴りをあげ、自己玉差し引き売り一万四千枚がキリキリ舞い。

見たところ、まだ本格的な煎れがでていない。

そしてこの当限だが、受け腰を強めれば行くところ敵なし無人の荒野を吹き抜ける。

それは四月限にも飛び火して、四は五、六限に活力を与える。

やれやれの利食いで買い玉降りたあと、さんざん下げ場面で苦労してきた人たち、今度は売りに回るのが人間心理だ。

それは自己玉売り枚数の減少というメーターの針で判明できよう。

小豆のほうは、確かに相手にしないムード。高かろう、安かろう、関心ないですとベテラン・セールスもそっぽを向いていた。

玉が薄くハナが取りやすいから、もう一段上の三万円を付けたい筋がケイ線をつくる。

相場つきとしては呆やり疲れた格好。だがこれを売ると?まる。従って、買い屋に逆らわず、近寄らず、相場自然の崩れがくるのを待つだけ。蚊がとまっても落ちる時は落ちる。

●編集部註
 盗作騒動で自主回収を余儀なくされ、現在は絶版になっている池宮彰一郎悲劇の名作「島津奔る」。その冒頭は慶長の役における撤退戦に入る直前に名勝、島津義弘が現場から突然いなくなる所から始まる。
 一度最前線から離れる事で客観的に現状を分析し、作戦を練り直すシーンなのだが、この時の相場と風林火山のスタンスは、どことなく島津義弘のスタンスと似ている。
 劇中の島津義弘はいくさには〝におい〟があるのだという。相場もいくさ場の一つであるとするならば、風林火山もこの時の小豆相場に〝におい〟を感じたのだろう。