昭和の風林史(昭和五八年九月三十日掲載分)

輸大・老境と疲労に勝てぬ

相場とは面白いもので老境に入ると好材料が逆に崩れのキッカケをもたらすから怖い。

来月一日に関門商品取引所が開所30周年のお祝を迎えるわけだが同取引所の輸入大豆市場について九月納会七三〇円安という乱暴さで一体関門市場はどうなっていたのか。

普段は価格面にあまり影響のない市場だけに関門の相場に関心が薄かったが、関門市場の心ある人から市場内部要因等の話を聞くと取引所はもっと確りしないといけないのではないかと思ったりする。

神戸市場なども世間からあまり目がとどかないので、あとから、こんな事があったと知らされて、それも困ったものだなあと思ったりすることがある。

関門には関門の、神戸には神戸の取引所としての使命はあるはずだが、使命もさることながら宿命もあって、市場機能もさることながら取引所存続しての市場機能という生活の前には、ペンは剣より強し、されど銭には弱しみたいなものかなと考え込むのだ。

さて相場の方だが、見渡して、なんの商品といわずくたびれが出ている。

特に長距離マラソンみたいな国際商品の波動は息切れしだした。

輸入大豆にしても丸々一カ月もシカゴ相場が高値でダンゴになっては、次回のUSDA収穫予想が前回数字よりも更に落ちてもその分は材料として相場が先喰いしているから、逆に相場は崩れたりしかねない。

まして前回と同じか、多少でも上向けば落勢に拍車をかけよう。

思い出すのは36年小豆増山相場で産地に霜が降りた材料でS安に崩れた。

相場とはそういうもので老境に入って高値での強力買い材料出現は逆に相場暴落のキッカケになる。

天井した相場は大底とるまで売っておけで、この輸大も小豆も値頃観の買いが多ければ多いほど長い灰色の線である。

●編集部註
 〝ペンは剣より強し、されど銭には弱し―〟。
 明治の終わり頃、これと同じような事を言っていた人物を思い出す。
 斎藤緑雨―。夏目漱石や正岡子規と同じ186 8年(慶応3年)生まれの小説家にして評論家。
樋口一葉の作品を生前から評価した人物として知られ、現在彼女が人口に膾炙する下地を作った。そんな彼も、一葉が亡くなって8年後の1904年(明治37年)、36歳の若さで肺結核で亡くなった。
 シニカルな人物として知られ、当時文筆業だけで食べていくのは困難であった事から「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし」という箴言を遺した。
 思想(筆)よりも、生活上の必要(箸)の方が強いという事である。