昭和の風林史(昭和五八年二月十七日掲載分)

我れ出でて利あらずの時

輸大も小豆も方針としては、なにも変わっていない。相場は待つという時もある。

閑な時は朝から、なんとなく判るし、相場が激しい時も場が立つ前から予感するものである。

閑な時は、ゴムも砂糖も輸大も、その他の商品なにに限らず閑になるのが近年の商品業界の特徴みたいである。

限られた投機家、限られた投機資金が売買手数料で削られながら商品市場という器(うつわ)の中で行ったり来たりしているからであろう。

閑な時は電話もピタリと止まる。

この電話というもの、一人一人誰にも相談するわけでないのだが、多い時は実に多い。かからぬ時は空気が止まったように静か。

夜遅く、あるいは早朝家のほうにかかるのも、似たようなものだ。バイオリズムであろうか。

迷う時は皆が迷うのである。地獄の底からダイヤルまわしたかと思う声の読者が、別人のように心の弾みをかくしきれずという電話もあって、相場の喜怒哀楽は、糾(あざな)える縄の如し。

友人の相場師の奥さんが言っていた。夜遅く主人が玄関あける音の仕方で打たれていた相場が、きょう好転したかその瞬間判りますと。

感が冴えている時は鳴る電話のベルで誰からのものか判るし、原稿書いていながら、“あ今電話してくるな”と思う瞬間ベルが鳴ったり、テレパシーというのだろう。

テレパシーの敵は深酒、寝不足である。

昔の人は大きな相場を張っている時は女色盤上慰み事を禁じたり、お茶を絶ったり、身を謹しんだとか。

相場は喜ぶなという。続けて、悲観するな。怒るな―という。読者を見ていても、相場師を見ていても、確かにその意味が判る。

さて相場のほうは、どうなんだろう。

●編集部註
 マメ屋殺すに刃物はいらぬ、客のヤリカイなけりゃいい―。と昔の人が言っていた、かどうかはわからない。発作的に作ったものとしては上出来か。
 先日、古参も古参、ベトナム戦争の終盤あたりから現在まで、南米、中東、東欧、アフリカの戦線を渡り歩いて生き残ったグルカ兵のような御仁から電話があった。在籍するセクションが別会社に移るのだとか。しかし、その移った先もまた別会社に移管されるという。
 その御仁も、ここでいう〝テレパシー〟の人である。と書くと怒られるだろう。始発で出勤してデータを入力。その後はお客様からの電話が来るまで頭がぼやけぬよう数独をして過ごし、定時で帰るルーチンの人なのだ。その人は言う、日常化出来れば相場には勝てると。