流れて流れて三万円割れへ
売り玉(小豆)を流れに乗せて、あなたまかせの年の暮ということでなんとかなる。
シカゴが『これが相場だ』という下げかた。しかし綺麗なトレンドの中の忠実な動きで無心で見ることができれば、こんな判りやすい相場もない。
小豆もそれが言えるだろう。
トレンドと喧嘩するなと言う。需給も緩んでくる。
当限大逆ザヤに幻惑されているようだ。それと1月限のファンダメンタルに惚れすぎている。
相場心得第一条は『相場に惚れる事なかれ』である。
惚れて見るからアバタもエクボ。言うなら夜目遠目傘の内で11月限もそうだが1月限も買いたくさせる。
大阪当限の片建八三七枚。自己玉は五枚売りの七三七枚買い。
これが曲者である。当限に関してコントラリー・オピニオン(人気指数)は99である。だから恐らくぶっ潰れてこよう。
二番限の12限売りが博打である。気がついたら来月当限納会までに三千丁幅、この三千円処売って取れていたりするかもしれない。ということは11限にしても三千五百円あたりの納会になると見るからだ。
年の瀬控えてリスクは嫌だという人は一月限、二月限売りが今からでも三千丁幅食えるのでないか。
取り組みがふえそうな気配だったが、再び細りそうで、〔取り組み細り〕を分母にして、〔在庫増加〕を分子にすれば判りやすい方程式が組めるし、これに〔薄商いの出来高〕と〔高値の日柄食い〕を掛けてトレンドを見ていけば行きつく先が判明する。
思うに相場は流れである。急な流れ、ゆるやかな流れ、あるいはよどみ。時に逆流もあるが、今の場合は、あきらかに下げの流れである。
従って玉をその流れに乗せておけばなにも考えることはない。休日明けはまた一段安になるだろう。
●編集部註
惚れて惚れられ、惚れられ惚れて、惚れて惚れられた、ことがない―。
昔聴いた柳家三亀松の都都逸に、こんなフレーズがあった記憶がある。と言っても、今の人は三亀松と言われてもピンと来ないだろう。ひょっとすると山下達郎の師匠になっていたかもしれない、
戦前戦後に活躍した大物芸人である。どんな人物であったかは、吉川潮の伝記小説「浮かれ三亀松」(新潮社)に書かれている。
恋は盲目。惚れたが最後。視野狭窄に陥った買い方が一人、また一人と消えていく展開になる。
『相場に惚れる事なかれ』を身をもって体感した人が次に実感する言葉は、恐らく『罫線に淫するなかれ』であろう。