昭和の風林史(昭和五八年十一月十五日掲載分)

斬って捨てるような下げ

年末までに下げ三千丁取れば文句ないわけで、小豆はそのような相場になっている。

小豆は当限と先三本が千円棒を入れて、まずは下げ波動の序の口。

下げますよ、深いですよと信号を送っている。

第一需給がゆるむということ。これが相場にとって芯がなくなる。

買い方のよりどころは現物が高い。供給不安。在庫薄。渡し物薄―であるが、流通段階における年末需要は一段落した。

しかもそれが高値を買わされた格好である。

先高だと思うから少々高くても買ったし、思惑で余分に仕入れもする。それが仮需要となった。

これからもう、あわてて買う必要もないし、手持ち現物は値下がりする不安がつきまとえば人間心理として少しぐらいヘッジしておこうか?となる。

市場内部要因としては、とにかく煎れが出たという取り組みは、燃えるものは燃えてしまったわけで、上昇するエネルギーは残っていない。

逆に高値掴みになった。

強気している人は三万一千円は下値の抵抗と考えているが、それはそれでそう思わないと気が持てん。

凶作に買いなしという相場が、これからの動きである。それがどのようなものかを記憶に残しておく。

線という線オール皆すべて売りである。

晩さん会でいえば、せいかん(コンソメスープ)が出たところだ。ひらめの洋酒蒸も燻製若鶏冷製もまだ出ていない。だから一月限の三万一千円あたりになって牛繊肉焙焼と温菜のお皿になるつもりでいないと、段取りが狂う。

流れ流れて行きつく先はという歌があるが、所詮三万割れである。

先のほうは、まだまだ値頃観の買いたい人気だが、利食い戻しは絶好の売り場だし、盛りのよい一、二月限もこれは売っておかなければ話にならん。

●編集部註
 この年の11月9日、当時の米国大統領、ロナルド・レーガンが来日している。そうなると、当然宮中晩さん会が催される。今回の風林火山の文章は、その辺が意識されている。
 80年代初頭は、美食が娯楽になり始めていた。
 宮内庁で最初に西洋料理の料理長となった秋山徳蔵の伝記小説「天皇の料理番」を杉森久英が発表したのが79年12月。それを堺正章主演でドラマ化したのが80年10月。この頃は過去の晩さん会のメニューを食材調達から追いかけ、再現し、実食するテレビの特番が高視聴率をとっていた。
 極めつけは83年から連載が始まった漫画「美味しんぼ」の存在。ここにバブル景気が重なり、狂乱の時代に突入する。恐らくこの漫画がなければ「究極」という言葉は人口に膾炙しなかっただろう。