昭和の風林史(昭和五八年十二月二十二日掲載分)

売り方は喪家の狗の如く

相場に腹を立ててはいけない。売り方は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)である。

年末競馬と相場は荒れるというが大穀手亡ピンの煎れ玉で二千五百九十円高とは恐れいった。

取り組みの少ないものに手を出すな―を絵に書いたような市場で、上場商品としての資格を失っているものだけに、そのような手亡に手を出したほうが悪いとなる。

小豆納会も上値は付けほうだいの手口だったが、五千円は遠慮した東穀、大穀だが、ローカル名穀は東西からの玉があって、名古屋なら少々無茶をしても大目に見てくれようという数日来の相場だった。

大穀手亡同様、名穀小豆市場は〝怖い市場〟ということで、淋れ行く街にならなければよいが。

夏の天候相場の時は市場の玄人筋が売っていたから五千円は付けるべからずなどと政治的な動きもあったが、今回は大衆売りの玄人買いだから、そのような声は出ない。

要するに売り込みのトガメというわけだ。

この世界は勝てば官軍だから、負けたほうが悪い。

さて、11月、12月と真綿で首締める目立たないような小型スクイズが成功していよいよ買い方本命中の本命である一月限が焦点の相場になる。

市場人気も、ようやく売っては危険だと悟りだした。

恐らく柳の木の下の三匹目の泥鰌(どじょう)を狙いにいくだろう―と。

しかし売っている側は三千丁から五千丁崩れを考えているから、期近限月は踏まされても虚仮(こけ)の一念岩をも通す。

強気は恵比寿(一月十日)天井とか節分(二月四日)天井という見方をしだした。勝ちに乗じた時の勢いというものか。

売り方は敗勢にあるから忍の一字。気やすめはいわない。鳥なき里の蝙蝠みたいな相場に思えた。

●編集部註
 〝取り組みの少ないものに手を出すな―を絵に書いたような市場〟を如実に表しているのが、令和2年の大発会における金相場である。
 60分足、ないし30分足で通常の金取引、ミニ取引、スポット取引の罫線を並列で見ると良い。なかなかに味わい深いものがある。モニタでリアルタイムで見る事が出来る時代ならでは世界だろう。
 その昔、手書きでローソク足をつけていた頃ではあまり考えられない動きともいえる。後になって修正される事もあるからなお性質が悪い。
 相場でも、食べ物屋でも、居酒屋でも殺到している時に行くのは粋ではない。いったん潮が引いて、少々寂寥感の一つでも現れた時に、ふらりと訪れるのがよい。売る側も、買う側も余裕があるのがベストである。