昭和の風林史(昭和五八年十二月八日掲載分)

小豆は下げたがっている

小豆の流れは下を向いている。先の限月二万五千円目標。期近もいずれ崩れがくる。

小豆は買い線にならない。

売りたいけれど戻らない感じの相場だ。先三本の二万五千円あたり、あると判れば誰でも売るが、高値おぼえで今のところは三万円割れが、いかにも安く思えて、お客さんは買ってくる。

前三本、特に一月限でなにか仕事をされそうな買い方にとっては期待と、売り方にとっては不安が残っているようだ。

しかし大局的な相場の流れが下を向いている時に、玉締めというような、力で思いをとげようとしても、無理したあとは更に悪くなるものだ。

売り玉は安ければすかさず利を食う。

そして戻りを待って楽しみの売り玉をつくる。

場はすぐ閑になりたがるこれは市場に新しい血が入らないからである。

線型では前三本のうちの当限が、すでにズッコケ型で千五百円あたりから千二百円の八月20日、九月21日安値近辺に沈むのでなかろうかという姿。

怖い怖いの一月限にしても三千円台の日柄24、25本がモタレてきたのを、なんとか逆襲させたいという動き。

一月限が二千円を割るようなことになると、買い陣営総倒れになる。

商いが薄い市場で少し大きな買いの手を振れば敢えて売る人もいないから値は上に走るが、買いたくて買いの手振っているわけでないので、抜けている。

このような事を何回か繰り返しているうちに、市場では、またかと人気が離散するし、見え見えの手に辟易してしまう。

先のほうの限月から三万円を割って次は三月限が三万円を割る順番だ。

そして二月限も、その時期がくると三万円を割っているだろう。

ともあれ下げたあとのS安が約束されていた。

●編集部註
 相場は「運」「鈍」「根」とはよく言ったもので、派手に動くわけでもなくだらだらとした相場展開で身動きが取れず、手持無沙汰の時が一番の「逢う魔が刻」では、ついいらぬことをしてしまう。
 閑故に変な考えが熟成されて変な行動になる。自分自身の中ではロジックが出来ているつもりなのだが、端から見れば謎理論。自分が間違っていないと思っているから悪質だ。当節ツイッター等でこの手の人を良く見かける。大概、閑な人だ。
 自分自身の経験則上、閑で手持無沙汰の時が一番タチが悪い。腹が減っていない、むしろ先ほどガッツリと食事をしたにもかかわらず、数時間後に「閑だから」という理由でどっさり炒飯をこさえて食べた事がある。
 大半の出不精なデブにありがちな「逢う魔が刻」がこれである。