昭和の風林史(昭和五八年十月一九日掲載分)

秋の相場はつるべおとし

シカゴは下げ急と見る。精一杯の戻り完了。小豆は先限三万円近くまでジリ貧コース。

匹馬行くゆく将に夕べならんとす、という高適の詩みたいな場面で、征途去ってうたた難し。(この道行くは難儀なことだという意味。)

小豆は、もう一段高がほしかったが力がない。はいそれまで―と期近が首を垂れてきた。

前二本売りは怖い、怖いの気持ち(人気)だが、案外売りごたえのあるのが前二本かもしれない。

買い方は、『一体なにを渡すのだ?』とうそぶくが、売り方は『一体受けてどうするのだ?』と、おたがいブラフ(ポーカーのはったり)の応酬。

それはそれでよいが、水の流れと人の世は、静かに見ていたらおよそ見当がつく。

この小豆相場は、流れとしては二、三月限で言うなら三万円を割っていく。

今は現物が高い。輸入が遅れている。北海道生産者は売らん。在庫が軽い等々であるが、それ故に今の値段を維持しているのだという発想の転換でモノ事見る目を持てば、強気が多いうちに売っておけとなる。

今は書くのがまだ早いが上に千丁か、下一万丁かの小豆の上千丁が実現できず、さしずめ先二本基準で三万円そこそこ。来月から師走にかけて二万八千円という流れでなかろうか。

輸大のほうはシカゴが戻り一杯した。

今度は八㌦割れへのコースであろう。トレンドは明らかに下降帯の中で崩れの様相を孕んでいる。

穀取輸大は、やや売り込み型であるが、九月22日彼岸天井(東京)五千七百五十円から千丁下げの四千七百五十円あたり二月限三月限来月生まれの四月限の一代足であるはずだし、なければおかしい。

一相場終わった―という認識がまだない。需給と相場が分離する段階というものを知るべきである。

●編集部註
 笑いは「緊張」と「緩和」である―。
 これは確か、今は亡き落語家、桂枝雀の言葉であったと記憶している。 相場にも「緊張」と「緩和」が必要である。江戸時代の米相場では火縄で一回の取引時間を決めていたと何かの本で読んだ事がある。一度に注文をまとめる「板寄せ」のはしりと言えよう。
 今の穀物相場が衰退したのは、間違いなく取引方式を板寄せからザラバにしたためである。教会の鐘塔に狙撃兵がいる事がわかっているのに、ノコノコ外を出歩くのは、殺してくれと言っているようなものである。値決めというものが何たるかを解っていない人が日本の穀物取引を亡ぼした。
 現物市場にも目利きが減ってきているという話を聞いた。世も末である。