昭和の風林史(昭和五十年三月三十一日掲載分)

手亡も底確認 小豆堅調地合い

いまの環境からいうとズンズン上昇する小豆、手亡ではなかろうが、底入れしたという確証は掴める。

「牛部屋に牛のうなりや朧月 子規」

一万二千円を割って、もっと下がっていくと見られた手亡相場が逆に反発したのだから、上下動大きな違いで、これが市場心理に与える影響は大きい。

三月の20日の安値は綺麗な彼岸底。

そして27日安値は、おりから満月。

手亡の期近限月は20日に底を入れ、期先限月は27日に底を打ったと見る。

さて三月も、きょう三十一日で終わる。四月は今年に入って始めての一日新ポである。一月は六日が新ポ、二月、三月は三日新ポでよく荒れた。手亡八月限などストレートの二千六百円下げ。ストップ幅で五回分。この間に取り組みがグルグルと変化して、なお大取り組みのままであるから大衆は恐ろしい。

この相場が四月にどのような展開をするだろうか。先限引き継ぎ線で見るなら、およそ三千円下げ。

普通三分の一戻しが相場出直りの初期に見せる動きである。

線型としては、半値戻し、即ち八月限の一万三千二百円があってもよい相場だが、九月限が逆ザヤにうまれ、一時的に人気を冷やす場面もあろうからすぐに三千円台を奪回してからの上伸は難しいかもしれない。

一方小豆相場のほうは、なにがなんでも彼岸に底入れせんがために20日朝寄りのストップ安だった。

壁に張ったケイ線を眺め、ここを買っておけば―と、くやむ人が多いのだろう、そのあたりのケイ線用紙が薄よごれている。

あれを売った人は、たまったものではない、すでに小千丁の引かされ玉だ。

逆に脇田の阿竹専務のように、きょうはこれ以下の値がないのだから、ええいままよと百六十枚も買ったその日に日計りの利食いとは、本間宗久伝に書いてある海中に飛び込む思いの人気の逆を行けである。

普通、このような強烈なショックを与えると相場はそれを転機に足取りが軽くなるものだ。

つい春風にさそわれて―と鼻歌のひとつも出ようかという陽気な相場になりそうであるが、函館海洋気象台が三陸沖に暖水塊があるため今夏は冷害はなさそう―とする予報は、なんとなく強気する側にとっては気になる材料である。

●編集部註
 勝負、悲喜こもごも。 勝負と言えば、この年の三月「東洋人で俺に挑戦する者はいないか」という発言から、モハメド・アリは翌年にアントニオ猪木と東京で異種格闘技戦を行う事になる。

【昭和五十年三月二九日小豆八月限大阪一万六九七〇円・七〇円高/東京一万六九八〇円・三〇円高】