昭和の風林史(昭和五十年三月二六日掲載分)

小豆反騰せん 手亡は人海戦術

手亡の人海戦術がどのような結末を見せるであろうか。小豆相場は強気一貫で報われそうだ。

「昼中や雲にとまりて鳴く雲雀 碧梧桐」

小豆の前二本の値段が、かたまっている。

もう、この値段以下ありませんよ―という風情の相場だ。

悪い悪いと言われてきた期近小豆が20日のあの居合い抜きのような瞬間下げにも、眉ひとつ動かさなかったことは注目に値する。

先二本は完全な天災期限月。これは畠に小豆の豆を播いてからはその日その日のお天気に左右されるが、それまでは人気一本の動きである。

市場人気は、先日の瞬間安で、かなり迷ったけれど、先に行けば高いという希望は残している。

ただ、小豆の取り組みが、もうひとつ太らないのが気がかりになる。

手亡は、これだけ下げてきて、なお大取り組みを維持している。

過去の相場の常識としては(手亡)先限二千五百円下げで大取り組みは、ほぐれて然るべきだ。それが厳然としている。

ここまできてほぐれない取り組みは、これから五百円下げても解けないであろう。まるで朝鮮動乱の時の中国軍の人海戦術を見る思いがする。

手亡相場の人海戦術。

これが輸入商社系のピービーンズ攻撃に、どこまで耐えられるか。

手亡の九、十月限はピービーンズの格差虐待を予想して逆ザヤに生まれてくるだろう。従って、手亡の一万二千円台は売られる。いずれは手亡の一万一千円そこそこが地相場になろうという見方は今ではもう〝相場の常識〟である。

なのに、大衆買いはひきもきらない。値ごろ観と証拠金の手ごろさ。そして専業取引員の営業政策などがその背景にある。

まして手亡相場が自律戻し、自律反騰でもすれば、買い気はさらにつのることであろう。

相場としての妙味はないが専業大手の商売としての手亡は妙味があるのである。

そういう手亡を横に置いといて、相場の妙味がこれから出てくると思われる小豆を、やはり強気していくのが正攻法だと思う。

小豆の取り組みが十万枚を突破してからでも買うのは遅くないと見る人もあるが、そのころには、かなり相場水準が高くなっているはずだ。

●編集部註
小豆相場は、そろそろ長い保合いのトンネルを抜けようとしている。

この〝そろそろ〟が、なかなかの曲者である。

相場の節目は相場心理の節目。心揺らがぬ場面で表れないのが常だ。

【昭和五十年三月二五日小豆八月限大阪一万六八二〇円・一二〇円高/東京一万六八一〇円・一二〇円高】