昭和の風林史(昭和五十年三月二四日掲載分)

小豆は彼岸底 手亡底入れ待ち

小豆は彼岸底を打った。ただ手亡が底入れするまで小豆だけ鮮烈な上昇は出来ず待ちの姿勢。

「駒鳥啼くと胸突き坂を仰ぎけり 爽青」

小豆相場の20日の朝からいきなりS安の寄りは、積み重なっていた相場の疲労が一度にドッと出た格好である。

しかし、そのあとの強烈な〝たくしあげ〟を見ていると相場は死んでいない。

おりから春の彼岸の中日。昔からよく言う彼岸底を思わせた。

左様。小豆相場は彼岸底入れた。

もとより現在の環境から判断して、この相場が、鮮烈な上昇を展開することは難しいであろうが、三月20日に付けた瞬間的な安値を割る事は出来ない。

今後に予想される相場展開は、やはり先限の七千円中心の動きであろう。

線型は先限(大阪)19日の引け値六千八百八十円までの窓を埋めて、空間窓を埋めたあと、それからの足取りが強含みに推移するか弱含みかという急所にさしかかろうとしている。

また、相場の水準を判断するひとつの現象として期近限月二本の〝その時の下げ方〟である。

先三本の下げと、前二本の下げは、同じ小豆相場でありながら、まったく違ったものを見せた。

この事は、前二本は小豆の値段として、まったく下げ余地のない裸値段である事を証明している。

先三本の下げは、人気料がハゲた。水ぶくれの値段分が消えたと見ればよい。

時間はかかるだろうが、小豆相場に関しては、その体質は贅肉を削り落とし、筋肉質になった。

積み重なっていた疲労を取りのぞけば、今までに見られなかった新鮮な相場に生まれ変わるだろう。

充分に期待出来る相場といえる。

では、手亡相場はどうか。手亡は、小豆とまったく違う動きだ。

戻すことはあっても、それは利食い戻しで、再び売られる。

相場そのものが持つ回復力というものがまだない。

いずれは、この手亡も大底を打つ事であろうが手亡相場の諸要因が、灰汁(あく)抜けしきれないあいだは、戻せば売りでよい。

その間、即ち手亡が大底を打つまで、小豆は、待ちの姿勢と見る。ひとり小豆だけズンズン行く事はない。しかし小豆相場は完全な上値指向型だ。

●編集部註
 値幅制限の地獄は、味わったものしか判らない。注文が入る分、サーキットブレーカー方式の方がまだマシであるといえる。

【昭和五十年三月二二日小豆八月限大阪一万六六五〇円・四〇円安/東京一万六七八〇円・一〇円安】