昭和の風林史(昭和五十年四月三日掲載分)

将来を考える 十一月限から勝負

四、五月にパニックがあれば、そのあとは一瀉千里一万円棒上げも可能な手亡の相場である。

「朧夜や時時はねる池の鯉 素香」

手亡相場は将来、大相場を展開するという、線型判断から出た前提のもとに考えてみよう。

手亡は安いのだ―という断定した考え方がある片側には、将来、大相場が展開するという考え方は当然存在する。それが相場である。

いま最も簡単な判断材料は、ピービーンズの供用格差が虐待されていまの二千五百円格差が十一月限から四千円ということになれば、確かに九月限、十月限はピーの渡し切りを嫌気されて逆ザヤ低迷相場かもしれない。

しかし手亡の本年度作付け面積の大幅な減反という減少と異常な気象が重なればピービーンズ圧迫から解放された十一月限手亡はズンズン上昇するのだろう。

その時のピーの供用格差が四千円なのか四千五百円になるかは今のところまだ判らないし、ピービーンズの輸入価格が今より安くなっているか、高くなっているかも判らないが。

十一月限が登場するのは六月である。六月は二日新ポ。まだ遠い先のことのように思える。

相場過程から予想すると六月の新ポに十一月限が建つまでに今の取り組みが総投げになる大安値、それこそ七、八月限の一万円台(ここからの二千円安)が出て市場荒涼、まったくの大粛正相場が展開されようと予測するのが売り方であろうが、仮りにそのようなパニックがあれば、いよいよ、その先は一瀉千里の一万円棒立ち相場さえ可能な相場になろう。

売り型が考えているここからのパニック的崩れが四月、五月に展開されたとすれば、これは買い方投機家不運だったと言わねばなるまい。

相場する以上、投機家の常として、好運、不運どちらかのカードを引かねばならない。

いまのところ手亡は底が入ったと見る。そして市場の人気(クロウト筋)は総弱気で、しかも下げの日柄が充分過ぎる経過を見てきている。

具体的に買っていく材料は見当たらないが、なんらかの突発的巨大材料の出現なしとしないのが相場の世界だ。投機家は常にリスクを負担しているものである。その事を自覚しておれば手亡の安値は買えよう。

●編集部註
 逆張りの発想である。 鶏口牛後でちょうちんはつけないスタンス。

 そういえば、この年のこの頃に日本ではマツモトキヨシが株式会社になり、米国ではマイクロソフトが設立されている。

【昭和五十年四月二日小豆九月限大阪一万七三七〇円・一六〇円高/東京一万七二九〇円・九〇円高】