昭和の風林史(昭和五十年四月十四日掲載分)

買い場を露呈 悪夢は去った!

手亡が下げ止まり小豆が浮揚する。気分で嫌嫌押した小豆のこの辺の値段は絶好の買い場を露呈。

「桃咲いて三年味噌の匂いかな 五洲」

小豆相場を考えてみよう。

常識的判断はおよそ次のように言われている。

大勢的には強気しなければならない。

新旧格差を思うと、十一月限は当然二万円台だ。

しかし現在のところ、まだ当分は七千円中心の動きだろう。

取り組みが太りだしてからでも遅くない。

どなたに聞いても、小豆の答えは以上のようだ。

まったく、その通りだと思う。

山梨商事の霜村氏は『いま小豆が高くなるよりは、このあたりの水準で播種期を待つほうが、先に行って相場が楽しみになる。いま高いと小豆の作付け面積に変化が起こるだろうが、今のままと減反こそあれふえる事はない』―と。

誰もがいまは鼻もひっかけない。その小豆相場の何と底堅いことか。

手亡の先限が悪夢(買い方には)の棒下げを演じ〝いって来い〟となったというのに、小豆は新ポの穴埋め、二分の一押しが精一パイであった。

値幅にして約六百円。それも商いが伴わない、気分で嫌々ながら手亡に追随した形だ。

大正金時でさえ二万七千円(大阪)し、うずらが高騰し続けているとき、小豆の商品価値からいって、大きく下げる道理がない。そう判っていても、現実に手亡の十分の一の出来高、二市場のみの生糸、乾繭並みの相取り組みでは、大半の投機家は仕掛ける気持になれまい。それが人情である。

だが、相場に必勝法があるものなら、恐らく人情に溺れることを戒めよう。古来〝人気の裏〟を教えるコトワザのいかに多いことか。

本格上昇波動を確認してから飛び乗っても遅くはない。そういう意見もある。確かにその通りである。が、崩れては積み上げる〝賽の河原〟の相場も久しい。口で言うほどに実行は容易であるまい。

考えてもみたい。弱気が念仏のように唱えるのが供給過剰だ。調整保管の五十万俵がそのまま翌年度へ持ち越されたともいう。

これは未知の要素(天候作付けなど)をまるで無視したものだ。

最も危険なもの、それはもっともらしい理屈である。理屈ではまだまだ大下げのあるはずの手亡が止まり、反発の構えなのも面白い。

小豆、手亡とも大丈夫、心配はない。

●編集部註
 昭和五十年の小豆相場の総取り組みは、一月の三万三千枚水準から、四月下旬に二万一千枚水準までジリジリ減っていた。

【昭和五十年四月十二日小豆九月限大阪一万七三八〇円・一五〇円高/東京一万七三八〇円・二〇〇円高】