昭和の風林史(昭和五四年十一月六日掲載分)

香海商取蘇生す 先物取引の夜明け

日本の商取界が好むと好まざるとにかかわらず香港商品取引所は先物取引の夜明けを迎えた。

「行人にかかはりうすき野菊かな 立子」

香港商品取引所の、東穀方式による輸入大豆市場オープン(11月1日)レセプションに招待を受けて、現地事情を取材してきた。

(1)同取引所理事長の抱負と今後の上場商品。(2)大豆市場に対するインポーター及び日系取引員及び欧米、現地会員の動向。(3)同取引所の日本商取界に及ぼす影響。(4)香港商取業界の現状。(5)日系取引員の活動ぶりと、今後に予想される東南アジアにおける先物取引。(6)そして日本の相場と香港の相場及び現地の投機家―等について詳細を明日付け紙面(3面)から連載したいと思う。

帰国して、業界が、香港商品取引所の大豆市場に対する受け止め方が、むこうで考えていた以上に深刻である事を知った。

しかし、すでに市場が機能しだしている。日本国内で考えている次元をはるかに越えたところで東南アジアにおける商品先物市場と取引が、新しい夜明けをむかえた現実を、われわれは直視しなければならない。

現地からテレックスあるいは、ダイヤル直通電話で生々しい原稿を送れ―と、好意ある便宜を各方面から受けたが、時間を少し置いて、冷静な目で現実を報道し、香港市場及び香港商取界の今後と、わが国商取市場と業界に対する考え方をつぶさに書くべきだと思った。

ひとことで言えば、『先物市場の夜明け』である。同取引所理事長は、第一節の開始と共に板寄せ方式による商いの進行を見るやテレビカメラや地元報道人の集まる中から抜け出て、『ハピー・スタート』と何回も叫びながら榊原氏の手を握った。

死んでいた(商い皆無だった)取引所が立会場一杯の人々の見守る中で蘇生したのである。

セリは、当初ゆっくり始まった。三カ月間、手のふりかたや注文の出し方などを指導してきた人々は、商いの進行と、次々に出てくる注文に、緊張の度を高めた。

右手の黒板には、すでに立会を終わった東京市場の輸大相場が掲示されている。

東京相場を香港ドルに暗算してみる。御祝儀商いでどんどん上ザヤ気配。すかさずオカチがハナを落した。ベルが鳴った。満場がどよめいた(柝を叩かずベルを押す)。

過去10カ月間、現場で営々と苦労を続けてきた福島氏。手振り指導の安藤氏ともに腰から下が抜けてしまった。続いて二番限、三番限と十分注文が通ったあとオカチの場立ちがハナを落した。

感無量の榊原氏は、この感動を言葉に出せなかった。吉川氏、大山氏の顔も紅潮して、これでよいのだ―、ともかくほっとした。岡地氏は東京マーケットとのサヤを盛んに計算させていた。

二節引けあと理事長との記者会見。

日系取引員のこれまでの努力に対する感謝の言葉。金及び外国通貨等金融手段に関する先物市場の開設計画。東穀取理事長からの手紙について、同取引所の考え方が語られた。

夕方のテレビ。翌朝の英字・華字新聞の扱い方はビッグだった。

●編集部註
 インターネットスラングに〝嫌儲〟という言葉がある。興味ある方はお調べ戴くとして、リスクをとる事を賞賛出来ない社会は衰退が待っている、と筆者は思う。