昭和の風林史(昭和五四年十二月十九日掲載分)

歳末難儀道 雑感 小豆記者失職でない

老兵は消え去るという気はない。小豆記者失職というものでもない。男子三日見ざれば忽然である。

「遠山に日の当りたる枯野かな 虚子」

相場はどうなんです?と言えば、為替次第―となる。

為替はどうです?。石油次第―。

世の中も変わったが、相場の世界も大変化した。

そういう時代に相場新聞も対処し、順応していかなければ、必要価値がなくなる。まして興亡激しい商取業界である。

創刊以来『風林火山』の当欄は、花形商品であった小豆相場と共にあった。

しかし、今の小豆相場には、もうロマンがない。もちろん相場は動くであろう。動くけれど、人々の心に感動を呼ばない。

手亡の相場でも、動いている。動いているが、果してどれほどの投機家が、この手亡相場に関心を持っているだろうか。

やはり、これからは国際商品である。

輸入大豆、砂糖、ゴムが一九八〇年の花形商品である。紙面も、それに対応していかなければならない。
この事は、去年の暮に計画して、本年春から実行しようと思ったが出来ず、夏頃にはと思い、それも出来ず、とうとう暮になってしまった。だから、四面からこの欄を消すのに一年かかったことになる。

という事は、小豆の先行きや業界を見定めたかったのである。

筆者は、この欄から消えても老兵は消え去る―というような気はない。小豆記者失職などとも思わない。

新年から三面で、随時、書いていく。それは行動する記者である。書く事が、余りにも多いし、また、書かなければならない大きな問題が山積している。

更に、当社で発行している『商品先物市場』(月刊)も四年目入り、ようやく安定してきた。雑誌のほうに力を今まで以上に投入しようと思っている。

●編集部註
 投資日報という新聞は、ジョン・F・ケネディが米大統領選に勝利した昭和35年(1960年)の11月に始まった。梶山季之の「赤いダイヤ」が新聞連載から書籍化されたのがキューバ危機のあった1962年なので、それよりも古い業界紙だ。

 当然、その当時の相場の中心は小豆相場。バックナンバーを読み返すと、小豆の相場記事が「風林火山」となっている。文中に漢籍が登場する相場の分析記事は前代未聞。ただし1953年のスタ ーリン暴落の直前「桐一葉落ちて天下の秋を知る」と一句用いた人はいた。

 1967年、大阪で井上義啓という人が「週刊ファイト」というプロレス紙を発行する。彼の言葉の紡ぎ方は独特で、後に「活字プロレス」と評される事になるが、風林火山のそれは「活字小豆相場」であった。更にここから小豆の文字が消え「活字相場」が始まる。