昭和の風林史(昭和五四年十二月十八日掲載分)

歳末難儀道 雑感 紙面の一部を変更

いつまでも『風林火山』じゃあるまいと、この一年思い続けてきた。時代が紙面の変化を求める。

「がむしやらの弁慶草も枯にけり 一茶」

小豆の実収高が発表されたが、今までにこんな無関心な発表はなかった。

この一事を見ても、いかに小豆相場が、人気の圏外に置かれているかが判る。

発表数字は、九月一日現在に比較して二千俵増の百八万俵。(前年比十四万六千俵減)。

相場のほうは、―だからどう、という事がなかった。

手亡は十六万八千三百俵。

たったの十六万八千三百俵である。減収で定期は買われたが、取組みと言い、出来高と言い、ほんの一部の人達だけの商いだ。

収穫量から言えば、取引所の上場商品として、心細い限りである。

時代が変わっている事を痛感する。

いつまでも、小豆相揚じゃあるまい―という事かもしれない。

小豆相場は、一年12カ月のうち、天災期の一、二カ月だけ投機家の関心を集める、シーズン銘柄になってしまった。

上値は、ホクレンが売ってくる。だから買ってもしようがない。

なが年、小豆相場に取り組んでき者にとっては、索莫としたものを感じる。

しかし、それが時代の流れであれば、対応していかなければならない。

本紙、紙面を徐々に組みかえる事にした。

「いつまでも、小豆相場じゃ、あるまい」―と同じように「いつまでも風林火山じゃあるまい」だと思う。

創刊以来、親しんでいただいた『風林火山』のこの欄は四面から徐々に姿を消す事にした。

勿論、小豆の欄は四面につくる。ただ、今までのような『風林火山[』でないだけである。

●編集部註
 小栗上野介という人物がいる。 

 江戸時代末期の幕府側の要人で、「勝海舟の好敵手」として幕末もの小説や時代劇に登場したり、「徳川埋蔵金」を秘匿した人物として噂されている。 

日本近代史の中ではかなり重要な存在なのだが、フィクションの世界では脇役か悪役にされやすい。

 しかし大島昌宏が彼を主人公にした小説「罪なくして斬らる」を199 8年に発表。この作品は後に「またも辞めたか亭主殿」という題名でNHKがドラマ化。文武両道に長け仕事も出来、ビジョンもある反面、短気な江戸っ子で、事あるごとに最後はべらんめえと尻をまくってしまう人物を岸谷五朗が好演していた。

 何故こんな事をつらつらと書いたのかというと、小栗上野介のような江戸っ子でもなければ、晩年に罪なくして斬首されたわけでもないのに、どことなく風林火山と似ているのだ。
 
 とりわけ、尻のまくり具合が非常に。