昭和の風林史(昭和五四年十月二六日掲載分)

声もなく無残 胴から下斬って捨つ

小豆市場もおますのやで―とばかり動いたと思うや胴から下が斬って捨てられていた。声もなし。

「此里は染めて一面茅の葉かな 青々」

穀取さんを、お忘れか―とばかり、小豆相場が、なだれを打って安かった。

某穀取の某部長が、年末のボーナスの事を心配していた。あんさんは、結構な御身分よ―と言いたい。なが生きする顔である。業者は、この夏も苦しかったのに、穀取さんは、結構出たのじゃないの。

商い閑なら閑で、すくなくとも部課長あたりは、芯締りになって、勉強せんかい。自分のもらうボーナスの事ばかり考えているから、呆けーっと、麻雀、ゴルフにうつつを抜かし、負けてばかりいる。

小豆相場は売り仕手ホクレンが、ちょっと動いて、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)の棒下げ。

(1)下期ヒヤリングに当っての政治的配慮(ワクを抑える)。(2)農家から安く集荷する。(3)実需不振だから一応定期にヘッジしておく―等の目的を持った売りとされている。

ともあれ、いつもいうように、自社玉比率が、東京六千九百枚売りの三千九百枚買い。大阪六千七百枚売りの二千六百枚買いという圧倒的な売り姿勢の時に、そのような相場を買ってもアカン事は市場の常識である。

当欄月曜付けに「売らせず安い」と書いた。売らん間に値崩れするという意味。その前には、売っておけば、クリスマスプレゼント―とも書いといた。

クリスマスのプレゼントが、早手まわしに、とどいたようなものである。

このあとどうする。三千円を割って二千円近辺ということも、相場だから、ないとも言えぬが、安値は売らずだ。商い閑になれば、安い値段にいくほど、手仕舞いが難かしくなる。(買い戻しで値がはねる)。

人々は、ここで下げておけば、年末相場が期待出来る―と希望の燈(ともしび)に火をつけようとするけれど、ガリバー的売り仕手ホクレンが存在することを忘れてはいけない。

小豆が安けりゃ、のおえ―という歌の文句じゃないけれど、売りは自殺行為と書いておいた砂糖が、S安一発後、反騰。

NY砂糖の週間棒や月間棒、それにロンドンのケイ線を見れば判るように、この相場は助走の段階を終ったばかりだ。大阪精糖先限二百四十円目標と言えば、そんな馬鹿な―となろうが、相場は相場に聞くしかない。値頃観御無用なり、小豆は自律反騰あるも買えず。

●編集部註
 相場と全く関係ない話だが、この年の10月26日は金曜日だった。この日の夜8時に放送されたのが3年B組金八先生である。この時主役を務めた長髪のフォーク歌手が、38年後に水戸黄門をやるとは誰が想像しただろう。