昭和の風林史(昭和四七年一月二十二日掲載分)

反落急と見る 一巡イレ終わる

安値売り玉のイレ取りで、きつい動きだが、踏みの出たあとの真空落としの小豆相場と見る。

「うかがえば尚一輪や冬椿 奈郎」

狐につままれたような感じがしないでもない相場だ。

化(ば)かしよった。

あれだけ勢いのあった三晶売りも、ピッタリ止まる。

『過怠金と陳謝広告と土曜日の半日自粛で済むことなら、どうだい、二千枚ずつ先四本を合計八千枚売りの手でもふってみるか』―などと、不謹慎な冗談も聞かれる。

いや、あれから相場は変わった。

山大、山梨が、ああいう強い方法に出なくても、あのあたり、相場がやはり止まる地点だったのだという見方も出来る。

追い証、追い証で苦しめられた会方にすれば山大、山梨、神さま仏さま―である。

先限で半値戻した。期近で二千五百丁。

これは大きい。

それにしても大阪阿波座のアパッチ集団は、さすがである。機を見るに敏。一人一人の玉は小さくても、これが集団行動をとれば一本の矢が千本の矢になる。

材料なしで騰げる相場は怖い。人間の体でも理由が判らず、発熱が続くのは、よほど用心しなければならない。

マバラのお客さんはやはり先二本、五、六月限を売りあがってくるという。だからまだ上値があるだろうという。

あるいはそうかもしれないが、強気当初の目標値一万四千五百円(先限)に近いため、輸入を再び刺激しようし、上伸のピッチが早かったため、油断すればハッと息をのむような無風状態の中での真空落としがあるだろう。

見ているとぼつぼつ強気が増えてきた。

当限も一万五千六百円から上は胸突き八丁。

強気筋の作戦は、一万六千二百円までのポッカリあいた、大きな空洞(窓)を埋めてしまうケイ線をつくろうという事であろうが、下のほうにも足場の固まっていない窓があるから、飛んで明けたところは、埋めにくるだろう。

このまま出直っていく相場ではない。

一月下旬から二月下げの準備のための持ち上げ相場とみる。

線型も、非情にきわどい姿になった。押し目なしの線立ちだけにアッと言わされたけれど、相場の実勢基調は戻り売りである。

●編集部注

 〝材料なしで騰げる相場は怖い〟とは名言だと思う。その逆もまた真なりで、我々は今、それを白金相場で経験している。

 こういう時の悋気の売買、狼狽の売買はどれも曲がり屋の得意技である。

 しかし、この投資心理に統制が加わると、途端に「作戦」という名前に変わるのだから不思議だ。

【昭和四七年一月二十一日小豆六月限大阪一万四二〇〇円・二三〇円高/東京一万四一九〇円・二三〇円高】