昭和の風林史(昭和四七年一月五日掲載分)
売り余地あり 四千円台割れへ
売り余地残す小豆の相場と見た。きつく戻したりするところは売っても判りやすい。
「春着の子はなやかに来てすぐ去れり 不鳴」
お天気に恵まれた大発会である。
六月限はサヤを買えずに生まれた。総じて全限月軟調な寄り付きで、旧ろう大納会に下放れた地合いを受けついだみたいである。
大納会はアッという下放れに寄った相場を、大引けにかけて強引に買い上げたわけだが、相場の実勢は、大発会の寄り付きに判然と出ていた。
言えることは、相場は悪い。この相場は重い―ということである。
年末年始、さっぱりと相場のことを考えず、お酒に明け、お酒に暮れて体を絞るとまるでアルコールがタラタラと滴(しずく)しそうであったが、大発会はやはり気持ちもシャンとして、空白だった相場感に新鮮なものが反映する。
久しぶりで見るケイ線。これも新鮮である。
そして思った。
この相場は、万人が大底値と見ている一万四千四百円どころの水準を、大きく割り込んで、一万四千円の大台を大きく割ってしまうのではないか?と。
あり得る。充分にあり得ることだ。
なぜか。
大納会で吊り上げた相場本来なら御祝儀気分もあって大発会は小高く寄るか、同値に寄るべきである。
にもかかわらず大阪五月限の寄りなど、三百七十円安で寄った。
相場師ならば、心の中で瞬間思ったことであろう。〝この相場よくない!!〟と。その通りだと思う。
お正月だから、ああだこうだとは言わない。
戻したところは売りになるし、大底が入ったように見えて、そう見えたのは幻影に過ぎず、本質的には、かなりの下値を残している相場である。
北海道の相場がガタガタ崩れてくれば本格的な底値構成となるだろう。品物が無くても崩れる時がくれば崩れだすものだ。
大発会に思ったことは、この小豆相場、売り余地充分あり―という事だった。
●編集部注
「去年今年貫く棒の如きもの 虚子」
さても大発会である。
相場は三点底を発会値からマドを空けて下抜けた。〝この相場よくない!!〟と思うのも無理はない。
丁度この原稿に取り掛かっている時間帯は、メリマン氏から来る英文の荒訳を終えた後だ。昭和47年の小豆は三点底だが、平成二六年のNY金は、上側に三点出来るか否かという局面にある。
それにしても、この記事の相場への反射神経の高さといったらない。
相場人かくあるべし。
【昭和四七年一月四日小豆六月限大阪一万四四五〇円/東京一万四五一〇円】