昭和の風林史(昭和四七年一月六日掲載分)

わかりやすい 戻れば売るのみ

相場はまだ下がるだろうが、買い方は、だるまのように目をむいて、じっとしていなければならん。

「凧の糸天には見えず指に見ゆ 誓子」

この日(5日)の地合いから論ずれば、まったく悪い。

三本足で止まったと見た値(四千四、五百円)を放れて寄り付いて、あとズッコケは〝捨て子〟にもなるかわり、値段を申せば一万三千五百円あたりが見えている。

輸入小豆の圧迫。不需要期。取り組み悪い。無理した相場。高水準。なんとでも言えよう。

買い方は、申すまでもなく苦しい。その呻吟(しんぎん)している声が聞こえそうである。だが頑張る。辛抱する木に花が咲く、待てば海路の日和かな。

投げるに投げられないというのも辛(つら)ものだ。投げ出せばストップ安三発、即ち二千円下の一万二千五百円あたりまで一本道だろう。

まるでそれは、蜘蛛の糸にからまった格好の大手買い方だった。

非情のようだが、相場は〝判りやすい戻り売り型〟になっている。

どうにもならない。買い方にとっては〝忍〟の一字である。それを逆境という。名経営者と言われた鐘紡の津田信吾氏は『すべからく逆境の時、腕を組み逆らうことなかれ』と喝破した。

現在の買い方は腕を組み黙然と黒板をにらみつけるしかない。

それも相場である。

細工を弄するから、また悪くなるというもの。ここは大悟するところである。「地獄の底で握手」するつもりで。

東京市場では三晶が売っていた。なんとなく薄気味悪い嫌な売りである。無言の凄味というのであろうか。

買い方が勝運に乗っている時は、山梨の買い手口に無気味な威圧があった。今は、まったくそういう殺気を感じさせない。

背景というものは怖いものである。人間でもそうだ。大銀行の役人など現役時代は、まぶしいほど大きく見えるが、いったん定年退職して一、二年を過ぎると、この人が、あの人なのかと思わせるほど、しょぼくれて、ただの人になってしまう。

買い方は、今現在、時を得ていない。十の力も三ぐらいにしか世間には映らないものである。だが面壁三年、手も足も出ないだるまでも、目をむいて、じっとしておれば一ツの絵になる。

相場はまだ下がるだろうが買い方は、辛抱するところである。相場とは真(しん)に苦しいものである。

●編集部注
 毎日、その日の取引の手口が公開されていたからこそ書ける記事である。 確かに豆の現物屋さんが、先物で売ってくるとなると不気味だ。

【昭和四七年一月五日小豆六月限大阪二三〇円安/東京二〇〇円安】