昭和の風林史(昭和四七年一月十一日掲載分)

底無しの沼だ 満目荒涼雪白し

当面の目標値は一万二千七百五十円(大阪)。そしてその下が一万九百五十円と測定する。

「凍る夜のうなじに触れし洗ひ髪 七菜子」

この小豆相場は、どこまでも下がるだろう。それは底なし沼である。
当面の〝線型〟から判断する下値の抵抗帯は先限の一万二千七百五十円(大阪)と見る。

そのあと、どうなるかは判らない。極端なことをいえば、いずれこの相場一万円割れも、あり得る―ということになろうが、それを考えるのは、一万二千七百五十円を付けてからでも充分間に合う。

六千円ひと波動という計算も出来る。昨年10月七日二万一千四百円。

11月四日の一万五千五百四十円まで六千円崩し。

そこで千四百十円戻して一万六千九百円から新しい下げに入り六千円崩し。

その最終地点が一万九百五十円。

一万円割れというのは、それは表現の方法である。
筆者は、最終一万九百五十円あたりで恐慌相場にピリオドを打つ、と今は考えている。

材料面に目を転ずれば、まったく寒々としたものである。

北京商談で案外な量が出来るかもしれない。長煩(わずら)いで衰弱している相場にとっては、仮りに少量のものでも、致命的打撃を受ける。
それが相場心理というものである。

台湾小豆の九千㌧供給余力。円が切り上がっていることもあり、また、安くしてでも日本に向けて売るしかない。むこうは増産しているし、出盛り期に向かう。

そして伏兵コロンビア小豆である。この相場のとどめはコロンビアあたりに刺されるのかもしれない。

目下、買い方に味方するものはなにもない。満目荒涼雪白し。

悪材山積、総悲観人気―ならば、相場転換という可能性も生じるが、それには下げ日数が不足している。

大正八年の米相場、52円69銭で12月に大天井して四カ月天井圏で高なぐれした。

その相場が九カ月かかって続落し、23円10銭と半値以下になった。

大正九年の恐慌相場だ。

今の小豆、九月天井と見るもよし、十月大天井と見るもよし、下げ相場はまだ若いのである。

●編集部注

暑さ寒さも彼岸まで。お彼岸は三月と九月だ。

「節分天井彼岸底」と相場格言にあるが、節分は二月。一月天底というケースはそうそうない。

【昭和四七年一月十日小豆六月限大阪四〇円安/東京七〇円高】