昭和の風林史(昭和四七年一月十四日掲載分)

落中に閑あり 閑中にまた落あり

戻してみたり、閑になったり、そして下げてみたりしてみても、需要不振という相場である。

「見わたして山の見えざる枯野かな 非文」

15日は成人の日、昔は各家庭が七日に七種粥に続いて小豆粥を祝った。

現在は、よほどの旧家かお年寄りのうるさい家でしか小豆粥を祝わない。

もう十年ほど前であったか、NHKのラジオで、有名な落語家が小豆粥の咄をしたことがある。にわかに小豆が売れたそうで、売れ行き不振に弱っていた小豆の現物屋さんが、その落語家のところへ、お礼に参上したという話を聞いた。

これから小豆は不需要期にはいる。数年前、財界の人たちが集まって需要を刺激する意味で大阪穀取も音頭をとって〝小豆祭り〟というのをやった。ポスターや、パンフレットを沢山つくり、百貨店にも呼びかけた。

消費地に在庫はたまるし、輸出物はどんどん入荷するし、売れ行きは悪いわ―では、困ったことである。

もっと値を下げて、安定した相場で消費を進めなければ、どの市場も小豆がだぶついてしまう。

なるほど〝凶作に買いなし〟とはこの事か、と思った。日本は世界各国からの小豆の輸入国である。年々消費は減っているのに供給は増大傾向である。これも困ったことだ。

どうだろう買い方は相場に腹をたてても、はじまらないから、以前、銀行がやっていた鏡開きの、〝ふるまいぜんざい〟みたいな事をしてみては。とは申せ、小豆一俵60㎏のぜんざいとは相当な量である。

銀行での、ぜんざいは、銀行協会の申し合わせで数年前から中止になっている。

その分だけでも、やはり消費は減少している。

大阪では天満の松亀さんの松本商店では毎年いま時分になると、ストーブの上に大きなお鍋をのせてぜんざいをたいている。お店の向こうの三軒両隣や、取り引き銀行などに松亀ぜんざいをふるまう。

辛党で、甘いものには、見ただけで鳥肌のたってくるような人は、この時分に天満の松本商店に近づくと、ひどい目にあう。

相場のほうは戻してみたり、閑になったり、下げてみたりしていても、結局は需要不振ということに落ち着こう。

●編集部注

その昔、東穀取にカレンダーを取りにいった事がある。一階に、お土産売り場があり、そこでTシャツを売っていた。

金太郎が大きな鯉を捕まえている浮世絵の絵柄。

そんなTシャツ、誰が買うのだろうと思った。

東穀取周辺は現在、相場のにおいが殆どしない街角になっている。

【昭和四七年一月十三日小豆六月限大阪四〇〇円高/東京二七〇円高】