絶好の買い場 クルリと反騰か
相場は気ままである。上げると見せて下に放れてくる。今度は下げる気配に見せて反騰に転じる番だ。
消費地四市場における六月の豆類需給の特徴は①海員ストの影響で輸入小豆の入庫は五月入船分の一部ずれ込んだ程度で極端に少なかった②国産、輸入物を合わせた消費は約六万五千俵で不需要期としてはまあまあである。もっとも値ごろ低下に伴う消費の伸びを一部で期待していたようでこの面で失望売りも出ている。
相場の方は昨日の引け値の悪さから、一段安に叩かれ先限は再び一万円ラインに近づいている。
売りで目に付くのは阿波座筋である。もとより誰が売ろうと一向に構わない。相場の強弱は元来自由勝手なものである。
買いたい人がおるから売りたいものも存在する。その逆も然りである。
何かの本で〝ユダヤ人の掟〟というのが記憶に残っている。〝全員一致の決定は無効である〟―と。
すべて、人の考えに完全無欠がない以上、全員が賛成の意を表すこと自体がおかしいといえばおかしい。
全員一致の意見が信用できないのも当然である。
相場のコトワザでも人気が一致した場合の雷同商いを戒めるのが多い。ユダヤの掟と一脈相通ずるところがあって実に面白い。
さて相場に戻ろう。玄人筋に絶大な信頼を得ている阿波座とて人の子である。言っては悪いが、先般のドン底を叩いた〝曲がり屋〟―ともっぱらの風評である。
曲がり屋の意地も度が過ぎれば傍若無人となる。さらにそれがエスカレートすると〝狂気の沙汰〟となり相場の方がしまいは怒り出す筋書きというものだ。
他愛のないマジックには引っかからないことだ。「当たり屋につくより曲がり屋に向かえ」という鉄則は今も生きている。
わけのわからんものをありがたがるのはお経だけにするのがよい。
小豆相場は下向きに転じた―と見せかけておいて、クルリと反騰に向かおう。
産地からは小豆の作況は「もう一つかんばしくない」と伝えてくる。まして天候相場といっても、これまでがプロローグ(序章)みたいなものである。本番は成育そして開花期のこれからである。
一万円どころの新穀限月を買い仕込んでさえおけば、必ず〝モノ〟になろう。またそれだけの投機価値はある。
●編集部注
行間から、何やら相場的に嫌な匂いがして来た。
【昭和四七年七月六日小豆十二月限大阪一万〇一三〇円・二四〇円安/東京一万〇二〇〇円・一三〇円安】