昭和の風林史(昭和四七年七月十一日掲載分)

まさに陰の極 陽転せんとす!!

小豆相場は陰の極にある。陰極きわまれば陽転す。必勝の信念で強気。大丈夫。心配するなかれ。

「紫蘇壷を深淵覗くごとくする 誓子」

10日の帯広測候所発表、十勝地方の七月中、下旬のお天気予報は次の通り。

<中旬>初め比較的よろしいが、半ばごろを中心に寒気が南下する。雨が降りやすい。気温は平年並かやや低い。雨量は並み。

<下旬>初め大雨が降るかもしれない。後半は晴天が続き本格的な夏の天気になり、気温は並みか、やや高い。雨量は局地的に多いところがある。

<筆者注・土用三日照れば不作なしといわれる夏の土用の入りは19日。今年は土用三郎が丑の日になる。帯広測候所の予報では、土用の期間中の天候は、感心しないように思える>。

難しいことを言うと、暑中とは、夏の土用18日間を言うのであって、それが終わると残暑となる。だから、暑中見舞いも土用の入りから立秋の前日までということになるが、現代はそのようなことにとらわれることもなかろう。

サイパン島西八〇〇km。北緯15度40分、東経一三七度20分地点にある台風は北西へ毎時20kmの速度で発達している。

天気図には幾つかの台風が記入され、そのほうにも気をくばる必要がある。

〝天災期〟という言葉の重さを感じるのである。

小豆相場のほうは、まったく森閑としていた。それは陰の極を思わせるに充分である。

なにかありそうな前兆だ。

新穀二本が一万円のところで頑固なことも、売っている人にとっては嫌な感じであろう。

このラインを割ってしまうと瞬間的に九千七、八百円が早いのだが、叩けども叩けども頑強で買い物がどこからともなく入ってくる。

こういうことをしていると相場は必ず急騰するのである。

急騰してみて、「ああやはり、あそこがそこだった」ということになる。そこからでも気がつけば、遅くはないのであるが、そこが底と気がつくころには、五、七百円も切り上げているはずだ。

旭川から中間地帯をまわって十勝に出た山大商事の関口氏と脇田米穀の阿竹氏と北海道明治の鈴木氏は、全般に草丈の伸びが止まっている。日照不足という感じだ。

中間地帯の米作からの転作も、言われいるほど多くはない―と連絡がはいった。

相場は陰の極にある下値にとどいているのだ。強気する以外にない。

●編集部註
 当時の東京市場の日足を見ると6月安値は9940円。執筆時点での7月安値は7日の10030円で切り上がり。通常は6日のマドを埋めるか跨ぐかで方針を決める。

【昭和四七年七月十日小豆十二月限大阪一万〇一九〇円・一一〇円高/東京一万〇一六〇円・六〇円高】