昭和の風林史(昭和四七年三月二一日掲載分)

阿鼻叫喚なり まさに地獄絵図

増山氏は実によく戦ったが資力、気力が尽きたのだ。死屍累累たり。仕手崩れは凄惨である。

「朧夜や殺してみろという声も 虚子」

仕手戦の末路とは、こういうものである。

市場には、いろいろな噂が流れているが真相は、だいたい次のようである。

①増山氏が戦意を失った。資金バックである日商岩井が三月決算で、資金面を凍結してきたことが大きな原因。

②増山氏自身が千葉銀行の株券(日商岩井名義)を証拠金に数日前から売りに回っていた。

③現引きした小豆は第一製パンに売れていると宣伝していたが、意外に売れていなかった。

④増山氏自身が、ほうぼうで売っている玉を霜村昭平氏が、あたかも売っているように宣伝した。

⑤市場では霜村氏が表面増山氏に協力しているように見せながら、裏で大量に売っていたという見方をしてるが、山梨は現物面で増山氏に協力していた。そして16日には定期で六百枚を買って、持ちの持ちになった。

⑥山梨の売り建て玉は丸五系の玉と見られ五百枚はある。

⑦増山氏は座禅を組みに山に入った。総額二十数億円の損失。

⑧手持ち現物を日商岩井は極力定期につなぎ、債務整理にはいろう。今月納会の受け手は現在のところ見当たらない。

山大も犠牲者である。山梨も犠牲者だ。脇田も北海道明治も犠牲者である。山三桜井氏もそうであろう。

大仕手戦は、あと味がきわめて悪い格好で幕をおろすものだ。

相場は一万円そこそこまで崩れるだろう。

これから終戦処理にはいるところだ。終わってみればあっけないものである。定期の末整理玉もまだ相当に残っている。そしてタナ上げの現物の処理が今後の穀物相場全体におおいかぶさるだろう。

おもえば増山氏も実によく戦った。延々二カ年にわたる戦いであった。

相場は一万円そこそこまで崩れ落ちれば、玉整理も完了するだろうし天候相場にもはいる。そうすれば落ち着く。

しかし、ふり返れば誰彼を問わず犠牲は大きかった。

死屍累累たり。

凄惨(せいさん)というべきであるが、これが相場である。長い目で見れば大きなシコリが、ようやくほぐれるのである。

●編集部註
 現在の東京市場のCBは発動してもまた再開する。そのため理論上では相場は際限なく動く。しかも今は深夜営業もある。

 振り返ると値幅制限という制度は存外、曲がり屋に優しかったと思う。

 風林火山の予言通り、この後相場は玉整理から一 万円割れを経験する。

 ただ本格的な値崩れはまだ大分先の話になる。

【昭和四七年三月十八日小豆八月限大阪七〇〇円安/東京七〇〇円安】