昭和の風林史(昭和四七年三月二九日掲載分)

叩き屋を殺せ 相場を育てよう

口に正義を唱え心に邪心あって売り叩かば、天は必ず筆誅を加え征伐せん。相場は強気方針。

「菜の花や月は東に日は西に 蕪村」

半値になった相場を、まだ売り叩こうとする。それは正気の沙汰でない。

大衆が値ごろ観で買うから、ぶっ叩いてやれ、という了見は、少々お淋しい考えで、離れていた大衆が、ようやく穀物市場に出てきたのであるから、花飾りのアーチをつくらないまでも歓迎するのが本当である。

『たまには儲けさせてやれよ』と筆者はいいたい。いや、儲けさせる、損させるという言葉には、誤解を生ずるかもしれないが筆者が言いたいのは、せっかく正常化しようとしている市場を、仲間内の〝筋こい〟連中が寄ってたかって売り叩く、相場の強弱は自由であるが、大衆が買うから売り向かう―という、目先だけのことしか考えないようでは、穀取市場の繁栄は百年河清を待たなければなるまい。

相場を育てる。市場を育てる。この事が肝要である。

市場を大きくし、相場を大きくしさえすれば、泳げる場所もそれだけ広くなる。

それには、やはり大衆の大々的な参加がなければ、この一年見てきたような、狭いところでのクロウト仲間の取り合いになる。

筆者に言わせれば今度の小豆の暴落は、インチキである。しかしそれは済んだこと、いまさら言っても詮ない。インチキも相場の内。

ただ幸いにして大衆の参加していなかったということが、わずかながら穀物業界にとって救いであった。

でなければ、前には東穀二・一八事件(強制解け合い)があり、穀物業界は、なにを信用してよいのか判らない―と大衆は必ず言うだろう。

さて、阿波座連合や山梨筋が寄って叩く相場であるが、下値はきわめて堅い。

天下の山梨が真赤な顔して、どれほど売り叩こうと下がらん相場は下がらんのだ。世の中は広い。どのような怪物が出現するか判らないのが今の世の中である。

筆者は山梨の売り叩きは邪心ありと見る。口に正義を唱え心に邪心あらば相場必ず、ひん曲がろう。

大衆は、千丁、千五百丁引かされるつもりで買っている。安ければ、さらに強気がふえる。

ベトコンや人海戦術にはアメリカでも勝てないのである。

●編集部注
 当時の売り方はこの文章をどう読んだのだろう。

 現状を見る限り「何を甘い事を…」とせせら笑っていただけかもしれない。

【昭和四七年三月二八日小豆八月限大阪六二〇円高/東京五四〇円高】