昭和の風林史(昭和四七年三月二二日掲載分)

買いの相場だ 目先急反騰あり

投げ終われば、見直し買いがはいる。相場は下げすぎた。一万二千五百円までの反騰は急であろう。

「雲静かに影落し過ぎ接木かな 虚子」

山大商事の杉山重光社長『とにかく、ちょうちんが三倍くらいついていた。三人で二千五百枚にもなっていた。いうなら、ちょうちん倒れだ』。

山梨商事の霜村昭平社長『一万二千七百円以下は買いの相場と見ていたが14・15・16日の相場を見て、駄目だと思った。それに、びっくりするほど、ちょうちんがついていた。本隊を救出するためにも、場勘定の関係からも、買い玉を減らしたわけで、M氏も三月第三週にはいって、相当買い玉を減らしていた』。

連休明けは太平洋の買いが投げに出ていた。K氏も場勘定関係で、切るだけ切ったが、ちょうちんが数倍もついていただけに、おくればせのこの投げで、さらに崩した。

山梨は場づらでは、丸五系の売りが出ていたが霜村氏自身としては現物を八百㌧手持ちし、三月納会もM氏に協力して受ける予定だった。そこへこの崩れである。山大の本隊を救援すべく、つけかえで六、七百枚をあらたに買った勘定。

霜村氏「豊などで前々から手持ち現物のヘッジはしていたが、結局は持ちの持ちになった。今、私に相場の見通しを聞くのは酷である」。

相場は、ただいま下剤をかけているところである。猛烈な下痢症状の初期は音をたてて飛び散る。それからのちは、糸のようだ。紙を持って何回も何回も。少し落ち着くと、時々シクシクする。その間、体力は目に見えて衰弱する。投げるだけ投げてしまえば下痢は止まる。

元帥は、さすが悄然とした声であった。多くの読者から『元帥に元気を出してくれるよう』伝えて欲しいということづけを筆者はたのまれた。地方には元帥ファンが多いのだ。

ここで三晶の売りが利食いにはいらなければならないところだ。買い方は白旗をかかげている。

現物のヘッジかもしれないが、大量売り建ての筋はこの崩れで玉を合わせておかないと、今度、売り玉を仕舞う時は、自分の売り玉で自分の首を締めることになるはずだ。

相場の値段としては、下げ過ぎている。市場が冷静になった時は今のような安値はもういないだろう。大きなシコリもほぐれた。久しぶりで市場は風通しがよくなりそうだ。勝負なら買い場である。

●編集部注
今回の記述は、将棋で言う所の感想戦である。

山際淳司に「江夏の21球」という一文があったが、これに近い。差し詰め「敗軍のかく語りき」。

相場の目算とは不思議なもので、逆張りの場合、目算の少し手前で流れが変わる。到達すると、逆に行き過ぎてしまう。

【昭和四七年三月二一日小豆八月限大阪七〇〇円安/東京七〇〇円安】