昭和の風林史(昭和四七年三月十六日掲載分)

針路北北東!! 全力疾走でよし

一月12日二千九百円に対して三月14日二千八百円。綺麗なA型の両足底である。もう大丈夫。

「彼岸まへさむさも一夜二夜かな 路通」

十七日が彼岸の入り。小豆相場は彼岸の入りを待たず底入れしたような気がした。筆者はこの原稿を書いておいて九州に行ってこようと思う。新聞の販売拡張と広告の契約と取材である。

小豆五月限の日足線の、その一代の姿は、綺麗なN字型である。三千円下げて四千円上げて、四千円下げた。そしてこれが上昇に転ずるとW字型になる。

相場の地合いが転換すると、庭が乾いている末端が積極買いに転じる。相場が安いあいだは、必要最低限度の現物を手当てするが、上向きになると、あまり高くならないうちに手当てしようとする。すなわち仮需要を刺激するのである。

小豆七月限一代のその日足線は、これを袈裟斬りという。斜めに四千百八十円幅を下げて、これがよく見ると三段で下げている。そして三月13、14日と投げを呼んでカチーンと音がした。

一月12日の先限安値が一万二千九百円。三月14日の安値が一万二千八百円。三つきまたがりだ。

百円違いの両足A型でさしもの下げ相場も底入れ完了と見る。

それにしても13・14日は、市場が、まっ暗になるほど悲観人気に包まれた。
投げと新規売りと、売り叩き。それは一月12日の時のような買い方絶望の場合だった。

相場とは面白いもので、人気がこうも片寄ると大底がはいったりする。
これでどうだろう。戻り売りで売られたりしようが先限で一万四千五百六十円を買い切るようなら、七千円近く(二月12日高値)を取りに行く格好になる。

起点を一万四千五百六十円。三月14日まで千七百六十円幅を下げた。この下げ幅の倍返し一万六千三百二十円地点。目標値にできると思う。

ひとたび相場が底入れすれば、今度は次から次と、買い材料が出現するものである。どこからともなく支援材料が出るのだ。

下げるべくして下げ、底入れすべくして底を打ち、出直るべくして出直る。これが相場である。

当面、一万四千五百六十円。買い方の目標地点となるだろう。

もちろん定規で線を引くようにスイ、スイとはいかない。

出来得れば人気が戻り売りで、売ってきてくれることを願うのである。

●編集部注
風林火山は、九州が大好きだったのだそうだ。

そういえば、最晩年の最後の遠出も九州であった。パンローリングから出ている、鍋島高明氏の『マムシの本忠』という本の冒頭にその時の模様が少し掲載されている。

私事ながら、小心者ゆえポジションを抱えて遠出が出来ない。そんな方は少なからずいらっしゃるのではないだろうか。

ましてや舞台は大相場、彼岸天井彼岸底と呼ばれる時期に、よく動けたなぁと思ってしまう。むしろ逆に、彼岸だから動けたのかもしれない。
 
なかなかどうして、このアノマリー侮れない。
 
今年の彼岸は三月十八日。米国は十七日。この日の高値から一転、NY金は下げていった。

【昭和四七年三月十五日小豆八月限大阪一万三〇六〇円・五〇円安/東京一万三〇六〇円・一〇〇円安】