固唾をのむ新ポ 中国大豆の商い
東穀取は中国大豆の十月新ポからの売買開始に命運を賭けている。業者も大きな期待をしていた。
「不知火の見えぬ芒にうづくまり 久女」
東京穀取は開所20周年の祝賀準備と十月二日新ポから先三限月が生まれて、初商いにはいる輸入(中国)大豆の根回しに活気を呈していた。とにかく成功させなければならない―。
祝賀のほうは東穀製作の映画も出来たし、当日配布する〝20年の歩み〟のパンフレット印刷も出来、記念品の折りたたみ式の傘も数が揃えられ、パーティー式場には昭和47年産北海道小豆と手亡とを美麗印刷のビニール袋に詰め、お好きなだけお持ち帰りを―という趣向の段取りも終わり、あとは当日を待つのみ。
一方、気になる中国大豆であるが、おりからの中国ブーム。また小豆が大豊作で相場が低調な時だけに、取引員業者も、高い関心を示している。
東穀としては背水の陣を敷いての、失敗が許されない中国大豆の売買開始である。同協会長の清水正紀氏も、必ず成功させなければ東穀の命運にもかかわる―という決意だった。
なぜなれば、東穀としては昭和43年から研究を進め、きのうきょうの中国ブームに乗っての計画ではなく、当業者および豆腐、味噌業界、そして商社筋に対しての長期間にわたるPR活動が、ようやく結実し、ここに商いが開始される。
主務省としても、今後の新規上場商品にまで、この中国大豆の成功、失敗が影響するだけに、固唾(かたず)をのんで見守っている。
ひいては、商品取引所の国民経済に占める存在価値にまで論のおよぶ結果ともなりかねず、関係者の真剣さは、かつて見られなかったほどである。
ところで手亡相場はなんだかんだで期近限月は安値から千円幅も水準を上げた。先限にしても安値から七百円高である。
小豆が出来ないというものの、穀物単品業者の表情が明るいのは、やはり小豆の大底打ちと手亡のジリ高に、先行きの期待が持てるからであろう。
商品業界全般としては毛糸に生糸、乾繭、綿糸と、それぞれ大商い続きで有卦ている。
これで小豆が横這いを続ければ経済規模が大きくなっている投機界であるだけに底入れ完了見通しで思惑も介入するし、手亡また活発な値動きが予測される。
●編集部注
この記事から、ちょうど四十二年が経過した。
タイムカプセルの手紙を読むような感覚だ。
この頃兜町から鎧橋を渡ったその先には、穀物取引所を中心に商品取引員の店舗が軒を連ねた。
現在この界隈は老舗の食い物屋の匂いはすれど相場の匂いは殆どない。
【昭和四七年九月二九日小豆二月限大阪七九五〇円・変わらず/東京七九三〇円・四〇円安
】