昭和の風林史(昭和四七年九月二十六日掲載分)

押し目は買い 高ければ利食い

気があるのか、ないのか判らないというところがまたよろしい。含みというものの味であろう。

「日は竹に落ちて人なし小鳥網 太祇」

手亡の相場は、新物より古品に値打ちが出ている。クロウト筋は、一様に新穀の相場は今後の産地出荷の状況を眺めて、それから先の事で、あるいは手亡が大相場を出すとすれば、年が代わってからになろう―と。

古品手亡は、一時新穀と千円もサヤが開いていた。新穀が雨で品質が低下すれば、46年産の手亡に値打ちが出る。この期近限月の手亡を限受けすれば、先に行って損はしないだろうという見方。

注目の仕手がかった手の期近買いが当限納会でどう出てくるか。伝えるところ、連休の間に産地との契約もかなり進んだようだし売り方は納会に準備して現物の手当ても積極化する。

取り組み面では煎(い)れの取れる相場と思えないから市場を湧かす熱狂場面は考えられない。それに先三本も利食い足が早い。

一般に今の手亡相場に対しては、七千円どころは〝頭〟という見方が支配している。やはりピービーンズの圧迫感がこの相場の妙味を半減させているのだ。

それで相場はどうなのか?

大きくも発展しないだろうが押しても深いとは思えない。気のあるような、ないような相場が続くのではなかろうか。

小豆のほうはどうだろう。市場人は、ほとんど小豆相場に期待していないが新穀の七千八百円どころは大底という感じが強い。山三商会の桜井三郎氏は、米相場の時でもそうだが大豊作で叩いて叩いて、それでも下げなくなる地点がある。本当の大底が入ると相場は勝手に反応するものだ。この小豆相場にしても先行き悲観する必要はない。鎌入れ不足だとか、輸送事情だとか、なにか材料が出てくる。目先動きにくいだろうが、売っても駄目なところに来ているように思う。穀物市場も五年前、十年前とはスケールが違っている。経済力というものを考えて判断していかなければならない。私は八千四、五百円で止まる小豆だと見ていたが、昨年あれだけの、いわば行きすぎた高値を出した反動として下げにも行きすぎがあったようだ。まあ先行き、そう悲観したものでもない。手亡にしてもピービーンズの供用をはずすようにすれば人気化しよう。

●編集部注
 以前、この当時の小豆相場はなべ底と書いた。

 まさしく、この時がなべの最底辺部分にあたる。

 上がらず、下がらず、瀬戸内の夕凪のような相場の中での、相場師の心の動きにご注目戴きたい。

【昭和四七年九月二五日小豆二月限大阪七九七〇円・一〇円安/東京七九五〇円・八〇円安】